All the world is full of suffering. It is also full of overcoming.
世界は苦しみで満ちています。しかし同時に、克服の光も満ちています。
絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ
いまだに『磔磔』って字が書けない…。 (03年京都磔磔にて)
それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ
「いてもいいんだよ」「生きてもいいんだよ」「感動してもいいんだよ」「泣いてもいいんだよ」「笑ってもいいんだよ」「そこに存在してもいいんだよ」って言ってくれてるかんじ。誰の許可もいらないんだ。それをロックンロールが僕に言ってくれるんだよ
猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない
釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね
人と同じものが嫌とか、そういうのはあまりない。自分が好きなものを集めてたら、人と同じにはならないでしょう?
生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ
俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。
俺にはなぁ……桐生ちゃんの 命より大切なモン━━見捨てることは できんかったんや。
頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ
一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである
我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが
若さと年齢は無関係
明日描く絵が、一番すばらしい
女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。
何処に居ても俺らの唄声とか届いてると思うし。
俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!
壁を見つけて超えていく……。人ってのは乗り越えることでしか成長できねぇんだ。 お前の理屈は間違っちゃいない。乗り越えるべき壁が俺だと言うのなら、付き合ってやる。二度と乗り越えようとすら思えない力の差――一度だけ味あわせてやる
人間は老けるよ。あたりまえじゃん。だけどさ、ロックンロールは年をとらないんだよ。ロックンロールっていうのはやっぱりね時空を越えていくんだ!
アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
失敗する子が減ったかも知れない。安全な道を選びがちだけど、危険な道ほど行ってみようって思う気持ちも大事。
なんかさー、ほら、あんまり愛された経験とかねぇだろ? お前らもそうだと思うけどさ。もう受け止めきれないんだよね。幸せ死にっていうジャンルがあったら確実に死んでる…いま
私はいつも、まだ自分ができないことをする
Half of what I say is meaningless, but I say it just to reach you.
僕の言うことの半分は意味もない。ただ君に聞いて欲しくて話しているんだ。
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
人は生涯、同一水準の作品しか書けない
この余白にたくさんの文字を書いたけど、沢山消した。俺の喉から貴方の耳まで新しい唄がお使いに行く。俺の唄は迷わないから、俺も心配しない。いってらっしゃい。
人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ
I think our society is run by insane people for insane objectives.
僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。
I do not want the peace which passeth understanding, I want the understanding which bringeth peace.
私は理解を超えた平穏を求めているのではありません。むしろ、平穏をもたらす理解を求めています。
我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと
Music is everybody’s possession. It’s only publishers who think that people own it.
音楽はみんなのものだ。自分のものと思っているのは作った人だけさ。
カメラっていうのは難しいんですね。湿気が一番良くないんだけど、乾燥しすぎても良くないらしい。湿度調整する装置がありますけど、あれで安心しても良くないらしいとか。やっぱり、使っているのが一番良くて、しまい込むのが一番良くないんですね。人間と同じなんですね。人間だって引きこもってばかりじゃよくないしね
言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります
妄想と勘違いでロックンロールは転がり続けてるんだから、これを解放しないことには何も始まらない。
じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ
たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、お前ら、覚悟決めろよ
見放さなければ、失うということもありません
(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます
で、みんなが「そうやるべき」だなんてことは全然ない。好きにすればいい。俺はどうするかは、俺が決める。それが売れるとか売れないとか、そういうことじゃなくて、自分が恥ずかしいと思わないように、書き続けるだけ。毎回、たったひとりの場所からそれをやる。
常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?
要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。
私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた
現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ
『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣
急成長会社では無能な者が要職にいる。会社の成長についていけなかった人々である
成功する人間に必要な生まれつきの能力などありはしない。ただ、あなたが成し遂げたいことに、必要な能力だけを身につければいいのだ
名古屋のニワトリって、羽根が何枚もあるんだろ?じゃなきゃあんなに沢山手羽先がつくれる訳ねぇ!
なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー
絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ
生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである
歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの
帰ってきたぜ!もうどこにも行かないぜ!(アベ加入後、初のライブにて)
俺は俺でしかない。BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでしかない。いつの時代でも。そういうことを強く目指している。
自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。
『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切
芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる
ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄
ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない
絵を描くのは人生に耐えるための手段だ
覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ
誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。