


なんか人見知りですって自分で言う人いるじゃないですか。それってめっちゃよくないなって思ってて、すごい自分から人を引き離してるの良くないなって思って。

人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ

……キスやな。キスかそれ以上のことやろな、やっぱり。歯…… 磨いとるな?六代目。

歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)

誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう

苦労しないでフッと浮かんだ曲が結果的にいい曲になる

カニバリズムは最も明確な優しさの表現のひとつだ

音楽に限らず、あらゆるクリエイターって2タイプに分かれると思うんですよ。第六感で作るタイプと、いろんなものを分析して構築的・理論的に作っていくタイプと

作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

革命家になろうとも思わないし、政治家にも宗教家になろうとも思わないけどさ、同じ事考えてる人いっぱい居るんだなと思ったら安心するじゃん。で、その記憶が俺を支えるしみんなの事も支えてくれるんだったら、やった意味はあるよね

自由であるとは、自由であるべく呪われていることである

俺は錦みてえにはなれねえよ

私は捜し求めない。見出すのだ

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。

何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている

上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな

いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない

何と嫌な商売だ

結局はひたすら考えるしかないという心境になっている

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

幸せを手に入れるんじゃない、幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ

地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。

僕たちは心の中にたまごを抱えています。何かを経験して心が大きく揺れたとき、たまごはパカッと割れて新しい命が飛び出します。ロックンロールに出会ったとき 僕の心の中で1つのたまごが割れました。それは初恋のように僕を夢中にさせました。今も元気なその心の住人は僕にマイクを握らせました。

これを描いたのはあなたですか?いや、違う。きみたちだ

美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ

これからは自分の為に歌おうと思います。 俺が俺であることを好きでいるとその日はすげぇー楽しいのね。でも俺が俺であることが嫌になってしまうと、その日1日もぅ何もかもが駄目なわけ。俺はかっこよく生きたいです

全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

運が悪かったんだよ、お前らは

わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ

私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う

おれたちみたいにブサイクに生まれたやつがカッコよく見せれるとこってのはひとつしかないよな、そうだな“生きざま”だよな

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?

生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである

周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?

1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

ロックンロールは入口がいっぱいあるんだよ。何かひっかかった瞬間、それがドアなんだよ。そっから入っていけるんだ。どっから入っても同じとこなんだ。中に入れば全員に会えるよ。すべてに会える。もし会えなかったらまだドアを見つけられてないんだよ。それかちゃんと入ってないんだ

凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ

音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

とにかく俺は本気で、音楽で少しでもこの世界をよくできると信じてる。いつ終わるかわからない自分の人生を、その目的のために捧げたいといつからか思うようになりました。だから、休んでる暇なんかない

流行なんて、文字どおり流れていく

今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ

創造の最大の敵は「良い」センスだ

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない

自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。

清志郎。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。今日もそうだよ・・・。ひどいよ、この冗談は。ありがとう。一生忘れないよ。

老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える

素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である

アァン?…お前、ベッピンさんやないかい。どや、俺の女にならんかぁ?どやねん? えぇ〜?

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣

あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である

いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ

術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる

たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ

モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか

空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。

若くなるには時間がかかる

この世は、良いのと悪いのとかさ、苦痛と幸福とかさ、相反するふたつのことで成り立ってると思うわけ。俺は、頭が悪いなりに考えた結果ね。で、頭がいい人とバカっていう争いもあると思うんだよ。今日は、三万人もバカばっか集まってくださってどうもありがとうございます

「いてもいいんだよ」「生きてもいいんだよ」「感動してもいいんだよ」「泣いてもいいんだよ」「笑ってもいいんだよ」「そこに存在してもいいんだよ」って言ってくれてるかんじ。誰の許可もいらないんだ。それをロックンロールが僕に言ってくれるんだよ
