私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む
画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ
God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。
フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ
家の仕事をしている女性は、この世でもっとも美しい
もしも明日の朝が来なければ、俺は最高傑作をいくらでも作ることができただろう。
何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ
我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである
『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね
こむずかしい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブ・ソングこそ、最高なのに。
女には、生まれつき筋をつらぬく面がある。男よりずっとしっかりしているよ
偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか
芸術愛は真の愛情を失わせる
僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう
芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない
神は勇者を叩く
イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である
「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)
10年かかってもまだわかんねぇのか?お前らが俺らを必要としてるんじゃない。俺らがお前らを必要としてるんだ
考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく
数千のアイデアを育てて、やっと一つの成果を得ることが出来る
トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる
私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
自分の個性に 自信を持てよ。そうすりゃあ自分好きになれる。姿形よりも 自分って人間を。磨いて輝る 美しさを
もしもイライラしてたり、つまんねえなと思ってたら、チャンスだよ
笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!
不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである
名古屋のニワトリって、羽根が何枚もあるんだろ?じゃなきゃあんなに沢山手羽先がつくれる訳ねぇ!
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう
幸せのまんま放っておいてほしい
真摯さはごまかせない
一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。
私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている
本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ
富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう
誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう
Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな
やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね
むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている
私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである
少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます
小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった
まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい
愛の光なき人生は無意味である
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである
多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。
心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。
他人のためにやるんじゃないよ。自分がやりたいからやるんだ。
運命に耐えているとき、そこに真理が見える
お前等聴いてるよな。さっきから聴いてるなって思ってたんだ。だからこっちも唄ってやるぞ!って思ったよ。聴いててくれて嬉しかったよ。ありがとね。
So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
冒険こそが、わたしの存在理由である
絶対仲良くなれない奴いるよね? 俺超友達少ないもん。でも音楽の上ではこんなに愛し合えるんだよ。実際の世界よりも僕は好きだから、ライブの空間と音楽の空間が。
今までやってきたことを、ひとりひとりが一所懸命やることだよ
何だって自分次第なんだわ。んなもん、当たり前だよな。お前がクソなら、世の中はクソだよ。
他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。
子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ
君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?
こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました
かつて「ロックスターは27歳で死ななきゃいけない」という手紙が送られてきて。でも私ドラッグはやらないし、自分のアドレナリンだけで絶対生き抜いてやると思ってますから。それがいかに新しいか、それを立証しなければいけないという使命感がものすごくあるんです。
……別に、誰かのために尽くすってことは悪いことやないで?互いが互いのことを思いやり、惜しむことなく尽くしあえる関係が、一番ええ関係ってやつなんやないか?
本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。
今熱烈に恋してなくたって、すげぇ好きだった人いたことのない人はいねぇと思うんだ。だから何が言いたいのかっていうと…。あんたがたは好きな人のために歌ってください。俺は今日、あんたがたのために歌う
たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、おまえら、覚悟決めろよ
私は捜し求めない。見出すのだ
女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす
憎しみや苦しみのない世界があるからお前来ない?って言われたら、「俺はいかない」って言うわ
「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている
僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける
世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ
声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!
ドリフターズのお客さんを見てごらん? 大人がいないだろう? 小学生くらいの子供たちでいっつも会場は満員なの。で、大人になったらその子たちは卒業していなくなる。でも次の子たちが入学してまたドリフターズを観に来るの。
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい
同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。
All the world is full of suffering. It is also full of overcoming.
世界は苦しみで満ちています。しかし同時に、克服の光も満ちています。