


While they were saying among themselves it cannot be done, it was done.
不可能だとみんなが内輪で言っている間に、それはなされました。

成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない

私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく自らの時間を奪おうとする非生産的な要素を退ける

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の

リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね

リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない

早く大人になりたいとか、まだ子供だとか。違うんじゃないか?俺は俺なんだ。藤原基央なんだ。俺はもっと良い藤原基央になれるように頑張るんだ

芸術家になるのは難しいことではない。内容を別にすれば、世間的には自分が決めればいいだけのことだ。誰からも認めてもらえなくても、己さえ納得していればいいのだから話は早い

マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

絶対仲良くなれない奴いるよね? 俺超友達少ないもん。でも音楽の上ではこんなに愛し合えるんだよ。実際の世界よりも僕は好きだから、ライブの空間と音楽の空間が。

苦労して獲得した金メダルをおじさんに齧られるのって、自分ごととして想像し直すとあれかな、メインのレスポールSPのヘッドを齧られるみたいな感じかな…。正気でいられる自信ないな、俺。

本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。

Work is life, you know, and without it, there’s nothing but fear and insecurity.
働くということは元気のもとだ。仕事がなければ恐れと不安があるだけだよ。

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

音楽が自分のすべてです

変わることをこばむのでなく、変われたことを褒めたいんだ。

上手い歌なんか歌いたくないんだよな。いくらでもいるし。

ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄

理論というものは現実に従って変化していく

内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

男性のお客さんでライブにいらしている方というのは、何かしらの誤解が生じているんじゃないかなって(笑)

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ

大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。

客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ

失敗する子が減ったかも知れない。安全な道を選びがちだけど、危険な道ほど行ってみようって思う気持ちも大事。

人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない

俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。

コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。

壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です

自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない

「最初はグー」ってなんであるんだろう。

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

相手を尊敬することができぬなら恋は起こりえない

シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

自分が興奮できないようなものではダメ

「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う

汝が死ぬ前日に懺悔せよ

学問は生涯を通じて心掛けねばならない

僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける

俺達の事な、忘れてもいいけど、此処でお前らがしてるその顔を忘れんな!お前等一人一人が主役なんだ!

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない

今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから

神は、もはや人間の力では助けられない時のみ助ける

もって行かれるぞ。甘い考えで生きてるとあっという間にもって行かれてしまう。この国をたて直すためには戦争をするしかないと考える人間がたくさん居るんだ。

会いたいって言った方が負けみたいなとこある気がする。男女

覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ

大人のくせに子供と同じような人間ばっかりになっちまったんじゃねえのか。

ウインカーはひっこめようぜ、俺たちは直進するんだ

「やさしくなりたい」という意思、それはすごく大切だなと思う

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切

学とはならうということで、すぐれた人物の立派な行いを習い、みずからもそれを実行していくことである

音を出すことで何を伝えたいのか

『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。

「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って

みんな同じなんだよ。大人も子供も、上も下もなくて、ただ同じ地面の上にみんな立ってるだけで。そういうことが、28になってわかった気がする。だから、みんなも長生きしてさ、精一杯生きてください。

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。

基本的に私は家の中で曲を作る

芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです

本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね

「最近バンドの調子がいいですね。」とか会ったこともない奴に言われる機会が増えました。そういう奴らには、これからも「おめー誰だよ!!??」ってやっていくんで、皆さんよろしくお願いします

(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです
