他者同士だからさ、分かりあえなくて当然
The rumors of my death have been greatly exaggerated.
俺の死の噂は大げさに語られている。
結局はひたすら考えるしかないという心境になっている
企業はなによりもアイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない
苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ
人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する
Alone we can do so little; together we can do so much.
私たちがひとりで出来ることはほとんど無い。私たちが一緒に出来ることはたくさんある。
どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである
僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない
みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。
要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。
お金なかったのでお母さんのお兄ちゃんにトラック運転してもらってトラックで上京した
この街は牢獄や……。俺が塀の外に出られんのは いつなんやろな兄弟……
僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる
もし、黄色と橙色がなければ青色もない
ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。
ツアー中、ステージからみえたお客さんの顔。知ってる人もいた。知らない人もいた。ひょっとしたら また会えるのかな
俺は東城会四代目桐生一馬だ!!
確かに2年前、俺はお前の相手が出来んかった。それはなぁ…… あん時のお前が弱過ぎたからや!
凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです
感情が伴わない作品は、芸術ではない
やっぱり音楽は大好きなことで、他に代わりがないから緊張するんですよ。今日のライブがダメでも、他でがんばればいいやとか、そういうもんじゃないから。
我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する
俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!
好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。
俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです
(曲を)作ること自体が究極のセラピー
かぶりついて仕事せよ
盗作は情けない
20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。
モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ
広島も付き合い長いな。しかし、付き合い長いとなんか感情が湧いてくるよな。こういうの、何ていうんだ?……憎しみ? (広島ライブにて)
意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない
夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き
人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい
青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ
Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.
死はただ一つの部屋から別の部屋へ移ることに過ぎません。しかし、私にとっては別です。なぜなら、その別の部屋ではきっと私は見ることができるからです。