信仰と信頼の間にのみ平和があります
(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ
何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている
俺は東城会四代目桐生一馬だ!!
私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ
人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと
プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要
大小様々な仮想敵を作って「XXXXよりこっちが良い!」みたいに比較するのではなくて、「楽しい!」とか「ヤベー!」とか、言葉にできない魅力とか、そういうことをシェアしたいなって思う。
そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ
肉体的に落ちていくものは取り戻せない。残っているものを生かすしかない
僕って未熟だなって話です。どうすりゃいいのか未だにわからないし、わかって楽になったらいいなとは思う。ライブでも毎回緊張しますからね、どんな声が出るかわかんなくて。
出産じゃなくても、女の人にはあることだと思いますよ。(感覚ではなく)頭で理解しようとしちゃう瞬間が、人生で何度かあるんじゃないでしょうか。大きな選択っていうか
人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします
会いたいって言った方が負けみたいなとこある気がする。男女
他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。
真のマーケティングは顧客から出発する。すなわち人間、現実、欲求、価値から出発する
回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる
間違いや失敗を犯したことのない者というのは、単に無難なこと、安全なこと、つまらないことしか、やってこなかっただけである。逆に優れている者ほど、数えきれない間違いを犯すものであり、これは常に新しいことに挑戦している証拠である
偽物が本物に変身する瞬間がある
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
芸術家になるのは難しいことではない。内容を別にすれば、世間的には自分が決めればいいだけのことだ。誰からも認めてもらえなくても、己さえ納得していればいいのだから話は早い
毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です
思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ
「最近バンドの調子がいいですね。」とか会ったこともない奴に言われる機会が増えました。そういう奴らには、これからも「おめー誰だよ!!??」ってやっていくんで、皆さんよろしくお願いします
持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る
アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。
恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ
本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ
I long to accomplish a great and noble task, but it is my chief duty to accomplish small tasks as if they were great and noble.
私は素晴らしくて尊い仕事をしたいと心から思っています。でも私がやらなければならないのは、小さな仕事をも素晴らしくて尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのです。
もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない
人に善をなせば、とがめられるものだ
みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね
自分の個性に 自信を持てよ。そうすりゃあ自分好きになれる。姿形よりも 自分って人間を。磨いて輝る 美しさを
「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい
欲張りな人間が、諦観を覚えたときは強いよ
上手にするってことなんか必要じゃなくて、熱くなればいいんだよね。
あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である
未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである
もともと変わった曲にしようとしていたわけじゃなくて、自然に出来たんで。まぁ、奇跡って言い方はおかしいですけど、偶然的にあのような曲になったっていうところも大きいんですよね(『サイレン』について)
流行なんて、文字どおり流れていく
感情が伴わない作品は、芸術ではない
芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ
画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう
とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである
俺は黒にはすごく強いイメージを持っていて。例えば、何も悪いことをやっていない神父さんもいれば、元死刑囚だけど途中で神に出会って神父さんになるのでは全然違うでしょう。そういう存在に対する憧れがありますね。そういう人にしか出せない優しさみたいなものがすごく好き。逆に、潔白潔癖なものには優しくない感じがあるんですよ
生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である
君を見つけ出した時の感情が、今も骨の髄まで動かしてんだ
悪い種子からは悪い実ができる
同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ
創造性の最大の敵は良きセンスだ
石狩は、日本のサンフランシスコだー!(第一回RSRにて)
志のない人間は魂のない虫と同じで、いつまでも発展することは無いのだ
自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる
画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ
失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい
”世界”というのは自分の中にあるんです
みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない
世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである
ルール破ってもマナーは守れよ
暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても
正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう
私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない
完璧な青写真なるものは、二重に人を欺く。それは、問題を解決できないだけでなく、問題を隠すことによって、本当の解決を難しくする
全然ネガティブとかポジティブとかではなく、それ(死の存在)を知ってるから僕たちは生きてるって、そう思えたんですよね。死なないやつは生きられないわけですよ。で、生きてないやつは死ねないわけですよ、やっぱり。(死の存在について)
癌もロックンロールだ。
Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。
なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ
同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。
前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。
ジョークを言った本人が笑ったら、そのジョークはジョークでなくなる
線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない
情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない
One can never consent to creep when one feels an impulse to soar.
羽ばたきたい衝動を感じたら、這いつくばることに耐えられはしない。