真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう
赤がなければ、青を使います
詩人は常に真実を語る嘘つきである
愛してるってどういうこと?愛してるって言葉の響きが重すぎるよ。愛せる程立派な人間じゃないですよ。
この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)
やっぱ俺は唄を選んだ人間なんだなって思ったんだよ。どんどん喋るのが下手になってって、どんどん唄うのが好きになってって、これは唄えって事だ。
例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ
ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ
福島っていうからには…やっぱり福がいっぱいあるんでしょうねぇ。(福島ライブにて)
顧客にとっての価値を想像してはならない。直に聞かなければならない
仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ
(ゲーム音楽は)何回聴いても飽きない曲でないといけない
君を見つけ出した時の感情が、今も骨の髄まで動かしてんだ
我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する
自由であるとは、自由であるべく呪われていることである
自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる
ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ
僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。
お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね
音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る
人と繋がりたかったら、求めるんじゃなくて、求めたものを持つんじゃなくて、求めるもの全部、自分が閉じ込めてしまうぐらいの、一方通行の自分勝手な行動をぶつけて、それに答えてくれた時に、本当に繋がれるんじゃねぇのかな。
「人生楽しいことばかりじゃねぇ。厳しいんだよ現実は」ってお前らとか俺の周りにも余計なこと言う奴らがいるけど、お前らがこんな風に笑ってそれ見て俺らも楽しくて笑って、そんな俺ら見てお前らも楽しくてまた笑うじゃん。バカみたいだけどそれでいぃと思うんだ。俺はそんなお前らが大好き
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。
多少体調が悪くても、気分が優れなくてもベースは崩さないように努める
正義の尺度は声の多数ではない
私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ
幸せのまんま放っておいてほしい
人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている
好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である
When we do the best that we can, we never know what miracle is wrought in our life, or in the life of another.
ベストを尽くしてみると、あなたの人生にも他人の人生にも思いがけない奇跡が起こるかもしれません。
いまだに『磔磔』って字が書けない…。 (03年京都磔磔にて)
重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる
世の中に言いきれることってねえが。 でも恋愛は絶対素晴らしいと言いきるよ
ツアーなのにウィークデーに東京に戻ってくるのは、旅している感じが全然しないんだよね。車で走り回って、その土地の美味くて安いものを探しにいく。夜はそこで待っている仲間たちと音楽を楽しんで、酒を飲んで寝るみたいな3ヶ月。こんな人生、なかなかないでしょう
運命に耐えているとき、そこに真理が見える
自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。
常に100%満足できる作品を作るべきだと思うし、そうすることが俺らの音楽を待ってくれる人たちへの最高の礼儀だと思うんですよ。
人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある
言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります
生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる
コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。
素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する
やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。
あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ
このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ
残る音楽を作りたい
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。
沈黙は絶叫よりも恐ろしい
モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ
部下の成長は、育成した者にとって昇進に値する貢献としなければならない
インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ
NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.
ヌートピアには、国土も国境もパスポートも持たない。人々だけだ。
私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!
(ゲーム好きになったきっかけは〉東京大のマージャン部に所属し、後に厚生省などに務めた公務員の父と、東京女子医大出身の母の影響が大きい
人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない
The more I see the less I know for sure.
知れば知るほど、分からなくなるものだ。
自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである
今日はジョン・レノンの命日。家に帰ってイマジンを聴く
人生は退屈すれば長く、充実すれば短い
砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである
マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね
(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい
飛べないホソミはただのタケシだぜ
誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう
だって欲しいから手に入れるんだし、好きだから抱きしめるんだよ。もったいないからとっとこう、ってのはちがう。その時点でそれはゴミなんだ。
苦労しないでフッと浮かんだ曲が結果的にいい曲になる
言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば
自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない
例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。
お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。
経営者は、その企業の将来について、もっと時間と思索を割くべきである
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。