


100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりする

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの

『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。

今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。

自分は燃え尽きることは一生ない

(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた

今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

感覚って信じてます? 僕は感覚なんて全く信じていない

自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない

計画とは未来に関する現在の決定である

1.必ずできると信じろ2.限界を越えろ3.「その時」を待つな4.行動しろ5.正しく問え6.ジャッジせず、隠された美を見ろ7.遅すぎることなんてない

涙が出てきたら、耐えて、苦しんで、そして前進あるのみだ

迷い、夢見ることをはばかるな。高い志向はしばしば子供じみた遊びの中にあるのだ

何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。

You won’t get anything unless you have the vision to imagine it.
心に思い描かなければ、何も得られない。

みんな同じなんだよ。大人も子供も、上も下もなくて、ただ同じ地面の上にみんな立ってるだけで。そういうことが、28になってわかった気がする。だから、みんなも長生きしてさ、精一杯生きてください。

せやけど俺は……何があっても親父の子ですわ

数千のアイデアを育てて、やっと一つの成果を得ることが出来る

(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。

これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。

たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ

「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)

テストの点数でお前らの価値は決まらねぇ

生まれる前からあなたの側にいた曲です

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。

音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。

負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない

確かに……一度 “黒” に染まったモンはどこまでいっても “黒” や。そっから抜けることはできん。けどな、それでも噛みつく相手選ぶくらいはできる。それが俺の流儀や

膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。

紅葉ってさぁ、葉っぱなの木なの?」(05年夏フェスにて)

モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか

なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい

経営者は、その企業の将来について、もっと時間と思索を割くべきである

God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。

いかなる創造的活動も、はじめは破壊的活動だ

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも

自然に線は存在しない

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

Life is what happens to you while you’re busy making other plans.
人生とは、人生以外のことを夢中で考えている時にあるんだよ。

Count your age by friends, not years. Count your life by smiles, not tears.
年ではなく友人で年齢を数え、涙ではなく笑顔で人生を数えようよ。

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう

後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。

「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。

少なくとも僕にも誰かを楽しませることはできる

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。

福島っていうからには…やっぱり福がいっぱいあるんでしょうねぇ。(福島ライブにて)

仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。

感性を磨くとは、こうした直感を鍛えることだと思う

君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?

俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)

ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ

今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから

愛の光なき人生は無意味である

パンのための学問

僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない

エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!

僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする
