


桐生ちゃん。わしなあ……ゾンビになってしもたかもしれん。

経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない

やっぱりゴツいなぁ。桐生ちゃんよ。

芸術家とは、不滅の存在である。刑務所や強制収容所に入れられていても、芸術の世界に身を沈めていれば、私は全能でいられる。たとえ、ほこりまみれの牢屋で濡れた舌を使って絵を描かねばならぬとしても

僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに

俺は錦みてえにはなれねえよ

楽曲は成り行きだけど、僕とマーシーは20数年間、その成り行きの『成り行かせ方』をやってきた。スタジオに入った瞬間に、僕とマーシーの空気はあるんだと思う。今は4人でうまーい成り行かせ方をしてんじゃない?そんな気がする

みんなの前で歌わんかったら下手になる

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

単純なことを完璧にやり続ける忍耐力の持ち主だけが、偉大なことを成し遂げる

自殺はやめろ。生きろ。

人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ

自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

天才になるには天才のふりをすればいい

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを

自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく

運が悪かったんだよ、お前らは

何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある

僕は楽しいから、成功していると思う

今までの後悔とか、辛かった事とか、選択も全て間違いじゃなかった

後悔は いつもうらめしそうに ちょっと先でこっちを見てるね いやなヤツ。

長いこと暗い道を歩いてると……この先もずっと暗いもんだと思っちまう。前に進むことがイヤになる。自分の道がこの先どうなってるか分かってるやつなんてこの世にひとりもいねえ。俺らにできるのは立ち止まって泣くか、一歩でも前に進むかのふたつだけだ。あんたはどっちでも好きな方を選んでいい。入り口までは 俺が案内してやる

膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

だって朝から晩までいろんな音楽聴いてるわけで。バップのジャズや20年代のブルースからソウル、レゲエ、フォーク、アイリッシュ。クラシックはめったに聴かないけど聴くときもある。そのすべてから影響受けるけど、僕はそういうのを聴く人で、その僕がやってるバンドがこれだっていうだけ。

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

なんつーか…俺もなに言ってっかわかんなくなってきた! つかこんな事言うとホントてれくせぇけど、なんてゆーか…なんかお前ら可愛いんだよ(笑) いや…女子に言ってんじゃねぇよ!? ここでは女だとか男だとかそんなの関係ねぇ。ここにいる奴らはみんな同じだって…今回もブスばっかだなぁ

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……

感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ

(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない

僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。

幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。

(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます

忠誠心を買うことはできない。獲得すべきものである。金の力で引き留めようとすれば、引き留められた者が誘惑に対する自分の弱さを会社のせいにするだけである

過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない

すべての偉大な成功は、地味で面倒な事の積み重ねの上に成り立っている

わたしは立ち止まりはしない

(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)

中学時代はラジオが好きで、「オールナイトニッポン」をよく聞いていました

Trying to please everybody is impossible – if you did that, you’d end up in the middle with nobody liking you. You’ve just got to make the decision about what you think is your best, and do it.
みんなを喜ばせようなんて不可能だよ。そうしたところで、結果は誰からも好かれないで終わるだけさ。

想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

ツアーなのにウィークデーに東京に戻ってくるのは、旅している感じが全然しないんだよね。車で走り回って、その土地の美味くて安いものを探しにいく。夜はそこで待っている仲間たちと音楽を楽しんで、酒を飲んで寝るみたいな3ヶ月。こんな人生、なかなかないでしょう

シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。

俺かて そない馬鹿正直に生きてきたわけやない。せやけどな、俺のまわりには馬鹿に生きて……馬鹿に死んでった男たちがおった。そいつらのくだらん生き方が 俺は男の最高の生き様やと気がついたんや

女性は行動するより前にこうしよう、と考えることがあまりない生き物なんじゃないかと思うんです。先に手が出るというか、体で感じて体で動くっていう

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

結局はひたすら考えるしかないという心境になっている

「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ

好きなことだったらめんどくさくていいじゃない!

弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます

芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです

「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。

無茶苦茶だよ。熱だけしかなくてさ、意味はないんだよ。

偉大な精神は、静かに忍耐する事を知っている

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど

客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ

同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!
