


急流中底の柱、即ち是れ大丈夫の心

We could never learn to be brave and patient, if there were only joy in the world.
もしもこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。

イメージの共有がしたいだけなんだ。言葉の共有じゃなくてどこかもやもやっとしたイメージをひねりだして曲にする。そのもやもやを共有したいだけなんだ。それで「生きてやるぜ!」って思ってもらえれば、「生きるっていいな」と思ってくれればそれでいいです。

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか

誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。

手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る

楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな

若くなるには時間がかかる

目の前の困難から逃げてばかりではダメです

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。

たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ

音楽、アート、読書、スポーツ、アニメ、ゲーム、etc.好きなものはいくつあったって怒られないのがいいところ。笑。

でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない

破壊こそ創造の母だ

前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。

人は大きな目的を持ってこそ、おのずから大きくなれる

あなたの日常は唄になるんです。

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

フェスにはいろんな人のいろんな思惑が絡み付いて、そんなの誠実じゃねーじゃねぇかと思うこともあるんだけど、音楽好きな奴らが集まって、音楽しか能のねー人間が精一杯演奏する。こんなシンプルな関係は政治なんざには負けやしねぇ

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

何かを作りたいと思ってエキサイトしている状態っていうのは、めちゃめちゃ青春しているんやって思った。

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

高校生の時、僕はズブズブと音楽にのめりこんだ。なにかあるたんびに寂しく一人で音楽を聴くような、僕をそんな人間にしたのは間違いなくパンクがきっかけだと思う

腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない

純粋に泣けてしまうことって本当にある

トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる

人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。

紅葉ってさぁ、葉っぱなの木なの?」(05年夏フェスにて)

ずーっと出発点に立ってんだよ、ロックンロールって。どっかの道のりにいるっていうんじゃなくて、今いるここがいつも出発点。いつもどっかに行こうとしてるんだよ。

人間が生きる限り、死人も生きているんだ

ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない

今日が幸せすぎるとだいたい明日が怖い

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である

組織のマネジメントとは、凄い人材を入れることや改新的なサービスを導入する事のように思われているが、一番重要なのは、今ある人材と資産で何ができるかを考えることである

(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど

要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。

「人生楽しいことばかりじゃねぇ。厳しいんだよ現実は」ってお前らとか俺の周りにも余計なこと言う奴らがいるけど、お前らがこんな風に笑ってそれ見て俺らも楽しくて笑って、そんな俺ら見てお前らも楽しくてまた笑うじゃん。バカみたいだけどそれでいぃと思うんだ。俺はそんなお前らが大好き

アンタには諦めんことの重要さを教わったわ。俺も執着するで、真島吾朗っちゅう男の生き方に

後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ

The more I see the less I know for sure.
知れば知るほど、分からなくなるものだ。

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。

Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。

私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。

(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね

いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います

回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる

自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ

犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか

Count your age by friends, not years. Count your life by smiles, not tears.
年ではなく友人で年齢を数え、涙ではなく笑顔で人生を数えようよ。

(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた

Everything has its wonders, even darkness and silence, and I learn, whatever state I may be in, therein to be content.
すべてには驚くべきものがあります、暗闇や静寂にさえも。そして私はどんな状態にあっても満足して、学びます。

生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。

どうしたって笑えないけど、それでも笑わないといけない時かぁー。…泣いちゃえばいいんじゃないか

私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う
