Character cannot be developed in ease and quiet. Only through experience of trial and suffering can the soul be strengthened, ambition inspired, and success achieved.
人格は、楽で平穏無事ということのうちには発展させることができない。試練と苦難の経験を通してのみ、魂は強化され、展望は明快にされ、野望は刺激され、そして成功は達成される。
恥ずかしくない生き方はしたくないもんね。だから恥をかくんだよ
プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要
(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ
毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です
ここ何県?(ロサンゼルスにて)
Life is an exciting business, and most exciting when it is lived for others.
人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです。
自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない
人生をね、棒に振りたいんだよ
ストーンズだけどさ、あのステージを観たら、なんて言うか、…孤独感が消えたんだよね。ほら、…僕は孤独でしょ(笑)。でも、もう孤独感は消えた。…うまく言えないけど。
生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある
とにかく俺は本気で、音楽で少しでもこの世界をよくできると信じてる。いつ終わるかわからない自分の人生を、その目的のために捧げたいといつからか思うようになりました。だから、休んでる暇なんかない
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ
世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?
余り考え過ごす者は何事をも成し得ない
喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない
人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ
死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。
判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである
芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ
どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。
この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない
これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。
ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。
インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて
正義の尺度は声の多数ではない
「いてもいいんだよ」「生きてもいいんだよ」「感動してもいいんだよ」「泣いてもいいんだよ」「笑ってもいいんだよ」「そこに存在してもいいんだよ」って言ってくれてるかんじ。誰の許可もいらないんだ。それをロックンロールが僕に言ってくれるんだよ
真のマーケティングは顧客から出発する。すなわち人間、現実、欲求、価値から出発する
極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。
型にはハマらずにいたい
これまでの実績など捨てなさい。自分の強みを過信した者は生き残れません
抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ
椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って
(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?
変わることをこばむのでなく、変われたことを褒めたいんだ。
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。
楽曲は成り行きだけど、僕とマーシーは20数年間、その成り行きの『成り行かせ方』をやってきた。スタジオに入った瞬間に、僕とマーシーの空気はあるんだと思う。今は4人でうまーい成り行かせ方をしてんじゃない?そんな気がする
全力を注がなければ、単に約束と希望があるだけで、計画はない
「病気になったのは罰なんだ」「人の言うことを聞かないからこういうことになるんだ」と、自分を責める気持ちから曲が生まれた。ネガティブな気持ちを書いている。
一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。
普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります
99回倒されても、100回目に立ち上がればよい
希望と失望は同じものですよね? 心が優しい人ほど毎日泣いていて幸せな時間ほど早く過ぎて、失望したことがない人は希望の意味を知らないし。同じものなんですよね。だから、俺はひたすら希望を綴っているだけなんです
見放さなければ、失うということもありません
言葉っていうのは、感覚に1番近いものを当てはめるだけだから感覚が伝わるわけじゃないんだよね。自分の心の中で生まれた感情・感覚に、1番似合った服を着せたものが言葉だから。
素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する
覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。
絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ
人生は退屈すれば長く、充実すれば短い
周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う
『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね
優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである
Self-pity is our worst enemy and if we yield to it, we can never do anything wise in this world.
自己憐憫は最悪の敵です。それに負けたら、この世で賢明なことは何一つできないのです。
自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい
路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね
他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ
私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……
僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする
何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。
歌詞を書いてて出てこない時って、頑張って出そうとして出てくるものじゃない
空気の大事さなんて、なくなんないとわかんないですよ。溺れて初めて空気の美味さって感じるんですよ。なくなんないとわかんない大事さ。相手のことをそんなもの(空気みたいな存在)にしてしまったのかって思ってしまう。
いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ
期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る
自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ
少なくとも僕にも誰かを楽しませることはできる
音楽っていうのは、96%まで技術です
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
(音楽にスーパースターは必要?という質問に対し)自分がなればいいんじゃないッスか、自分にとってね。そう思えないヤツはずっと誰かの真似になっちゃうんじゃないかな。
Everything is clearer when you’re in love.
恋に落ちたら、何もかもがクリアになる。
女性はやっぱり、おいしそうなものにクンクンって吸い寄せられて、それで満腹になったら飽きて、別の方に行って。そういう風に生きていくものだと思うんです
いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います
自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる
自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても
今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない
生まれる前からあなたの側にいた曲です
気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常
人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。
幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である
彫刻は、凹凸の術である
わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ
We’re not disinterested in politics. It’s just that politicians are disinteresting.
僕らは政治に無関心なわけじゃない。ただ政治家がつまらないだけだよ。