僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける
本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって
人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ
僕は不確定というか、絶対にこうだって言い切れないものがあればあるほど面白いと思うよ。その分言い切りたい奴が言い切れるじゃん 僕はロックンロールに対していろんなことをいっぱい言い切る
最初にして最高の聴き手は自分自身
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です
何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。
面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ
問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし、組織というものが最近の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない
マラソンランナーと一緒で、長距離を走り抜くにはペースを崩さないこと
どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。
私は捜し求めない。見出すのだ
楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?
近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから
人の評価なんかどうでもいいし
仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ
色彩は、それ自体が何かを表現している
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
夢見ることをやめてはいけない
偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに
やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。
私たちは生涯、忠義を尽くし、御恩に報いる目的で一切の艱難を乗り越えなければならない
逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ
テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする
Life is either a great adventure or nothing.
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。
これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。
私は天才を自覚している
普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります
友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる
人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。
最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである
私は最初、写真っていうのは、機械が撮るもんだから誰が撮っても一緒。だから絵とは違うなって思っていたんですけど、そうじゃないんですね。写真って、あなどれないなと思いました
基本的に完成は信用しない
人は見た目で判断する、そんなもんだ
腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない
自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ
芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ
音楽にはいろんな力がある
感性を磨くとは、こうした直感を鍛えることだと思う
書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい
(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。
失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい
生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである
苦痛は短く、喜びは永遠である
感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。
優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである
いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分
結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。
Everything is clearer when you’re in love.
恋に落ちたら、何もかもがクリアになる。
心に鍵をかけてるひと。かけすぎて人と話すのが苦手になったりしてる人。自殺をしようとした事がある人。俺はそのままでもいいと思うよ。かっこ良いと思うよ。でもどうか生き延びてください
芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ
富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう
眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ
激流にも耐えうる柱のように揺るぎない信念を心に持て
人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である
自由であるとは、自由であるべく呪われていることである
ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)
So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。
やっぱり音楽は大好きなことで、他に代わりがないから緊張するんですよ。今日のライブがダメでも、他でがんばればいいやとか、そういうもんじゃないから。
私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ
どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである
大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ
今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ
インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて
曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主
Our life is our art.
人生はアートだ。