作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。
我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する
ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感
彫刻は、凹凸の術である
多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
幸せを手に入れるんじゃない、幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ
お前らの人生がライブハウスみたいだったらいいなぁ。おされたり、ぶつかり合ったり、倒れちゃったりして、でも自分の力で立ち上がったり、時には周りの人に助けられたりしながら起き上がって、次の瞬間にはものっすごい笑顔で前を向いてる。お前らの人生がそんなだったらいいなぁ
なんか最近いろんなことが理屈っぽくなってるじゃない。でも人をふさぎ込ませるものなんてそんなになくていいんだよ。悲しいことは世の中にいっぱいあるんだから。
顧客にとっての価値を想像してはならない。直に聞かなければならない
完璧な青写真なるものは、二重に人を欺く。それは、問題を解決できないだけでなく、問題を隠すことによって、本当の解決を難しくする
僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる
他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。
喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ
詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである
経営者がかならず身につけておかなければいけない、大事な要素がひとつだけある。それは品性である
死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。
ひらめきも何も考えていないという事ではなく、必死に悩んで考え、自分を追い込んだ結果として、ぽっと生まれるもの
正しくない事を言ったりしてるやつが居たら自分ひとりでもちゃんと「それは違う」って言えよ。そしたら俺みたいに嫌われたりもするだろうけど、最後は正直者が笑うんだからさ
「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)
人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と
自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる
負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない
心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも
残る音楽を作りたい
人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない
No pessimist ever discovered the secret of the stars, or sailed to an uncharted land, or opened a new doorway for the human spirit.
悲観論者は星の神秘を発見したり、未発見の土地に航海したり、人類の魂への新しい扉を開くことは決してできません。
内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い
俺がホントについてるなぁとか幸せだなぁとか思うのは、周りにそうやって怒ってくれる人がたーくさんいるんですよね
くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の
本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね
事業を行うときは、次の4つの条件を満たしておかなければならない。まず経営環境、使命、強みが現実と一致していること。そして、それらの条件が互いに合致していること。そして、周知徹底されなければならない。さらに、たえず検証されなければならない
声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った
路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね
女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている
曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。
自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている
自分の強さを実感している人は、謙虚になる
心が揺れたところで決着はもうついてんだ
私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ
結果オーライって凄くいいことだと思わない?
犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか
日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)
いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分
チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである
(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)
プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要
人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない
人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい
人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう
(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)
人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ
全生命が瞬間に開ききること。それが爆発だ
言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります
楽しいと楽は違うよ。楽しいと楽は対極だよ。楽しいことがしたいんだったら楽はしちゃダメだと思うよ。楽しようと思ったら、楽しいことはあきらめなきゃダメだね。ただ、生活は楽な方が絶対いいと思うよ。でも人生は楽しい方がいいじゃん。生活は楽に、余計なことには気をとられず人生は楽しく。
人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!
何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと
オーケストラ音楽に触れたきっかけはラジオ
カメラっていうのは難しいんですね。湿気が一番良くないんだけど、乾燥しすぎても良くないらしい。湿度調整する装置がありますけど、あれで安心しても良くないらしいとか。やっぱり、使っているのが一番良くて、しまい込むのが一番良くないんですね。人間と同じなんですね。人間だって引きこもってばかりじゃよくないしね
ドローンが敷かれて、そこに何かが乗っていくスタイルって本当に、自分でも作るけど畑が焼き尽くされているっていうか、「ああまたこれか」って感じあるんですよね。自分で作ると自分の趣味に沿うから楽しく聴けるけど。それでいいとも言えるし、よくないとも言える。
自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる
(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
何も考えないで、何も判断しないことが、一番の罪だと思う
純粋に泣けてしまうことって本当にある
コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である
What I am looking for is not out there, it is in me.
探しているものは外になく、自身の中にあるものです。