


何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね

多少体調が悪くても、気分が優れなくてもベースは崩さないように努める

作曲家の基本命題は「いい曲をつくる」こと

自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。

内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い

人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ

一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから

なんか最近いろんなことが理屈っぽくなってるじゃない。でも人をふさぎ込ませるものなんてそんなになくていいんだよ。悲しいことは世の中にいっぱいあるんだから。

基本的に全てのキャラクターは、レベル99まで上げます(※自身が無類のゲーム好き)

曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主

己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです

正義の尺度は声の多数ではない

第一印象というのは作り手として「いいものを作ってやろう」という思いから生じる余計な観念にまだ支配されてないから、感じたままが最も素直に表れている

顔に性格が表れるように、声には人生が現れる。言葉でどうこうするより、何万時間語り合うより、一曲でいいから自分の書いた歌を聴いてもらえば分かりあえる気がしちゃうんだよな

絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない

音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた

愛の光なき人生は無意味である

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

学ぶという事は一生続く、変化に遅れないようについていくためのプロセスだという事実を、私たちは今では受け入れている。そして、最も緊急な課題は人々に学び方を教えることである

見放さなければ、失うということもありません

幸せのまんま放っておいてほしい

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。

周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?

調子が良くなかろうが、ノルマを達成するように進めていかなければこなしきれない

なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ

喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない

大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。

曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。

俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。

10年かかってもまだわかんねぇのか?お前らが俺らを必要としてるんじゃない。俺らがお前らを必要としてるんだ

夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き。

なんかさー、ほら、あんまり愛された経験とかねぇだろ? お前らもそうだと思うけどさ。もう受け止めきれないんだよね。幸せ死にっていうジャンルがあったら確実に死んでる…いま

もともと変わった曲にしようとしていたわけじゃなくて、自然に出来たんで。まぁ、奇跡って言い方はおかしいですけど、偶然的にあのような曲になったっていうところも大きいんですよね(『サイレン』について)

感性を磨くとは、こうした直感を鍛えることだと思う

(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな

笑ってくれりゃあ本望だよ

大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。

ヘルマン・ヘッセも書いている。ユーモアが大切なんだ。ユーモアのわからない人間が戦争を始めるんだってね。

肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ

女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている

人生は、水平方向に落ちていくことである

私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う

人生をね、棒に振りたいんだよ

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない

目標に達するまでの道筋を多くしないこと

ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感

いかなる道でも効果が無くなると、最後の手段として剣が与えられてるのです。最高の財宝だけは、われわれは暴力に対して正当防衛をしてもよいのです

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

ライブってゆうのはお茶の間でせんべえかじりながら見るようなもんじゃねぇんだよ。チケット取れなかったとか色々あるかもしれないけど死ぬ気でチケット取れ。で、見にこい。俺らあれだから。ブラウン管の前で評価されたくねえから

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない

私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。

なんで嫌な時に笑ってんだよ。なんで悲しいのに笑ってんだよ。泣きたい時は泣いて、笑うときにバカみたいに笑えよ

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。

「最初はグー」ってなんであるんだろう。

苦痛は短く、喜びは永遠である

まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい

(「日出処」のタイトルについて)もっとビビッドで、私たちが知ってるお日様って何だろうって思った時に、こういうタイトルになりました

友人の中にも損友と益友がある。益友とは自分の欠点を遠慮なく告げてくれる友のことである。益友の印象は悪い。時には自分の感情を害する言行もあるが、大切にしなければならない。益友の言葉により自分を正しい道に導き、欠点に気付き、矯正するのがよい

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い

自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。

欲張りな人間が、諦観を覚えたときは強いよ

勉、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、目的を達成するまではどこまでも続けるという意味合いを含んだ文字である

「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする

効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである

仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ

So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。

同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。

真摯さはごまかせない

本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ

いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる

聴いてくれる君が居なきゃ、俺は歌えないんだ。自分の事を「世の中に必要無い人間」なんて思わないで下さい。現にこんなにも俺が必要としています。どうか生きてください

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ

何事かを成し遂げるのは、強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。できないことによって何かを行うことなど、到底できない

俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる

お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか

俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな

ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄

お前らが死んでも音楽は何万年も続いていくんだよ

「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

あいつが…運命と闘うなら…、俺はあいつのために、命張ってやろうと思うんだ。

どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である

オーケストラ音楽に触れたきっかけはラジオ
