


飛べないホソミはただのタケシだぜ

何にもやってなかったなあって気持ちになる時もよくあるよ

自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく

人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである

うわー凄げぇな。学校や会社でうまくいってない奴らがここには多いと思うけど、そんな奴らが集まるとこんなキレイな景色になるんだな

お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね

「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)

自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。

何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている

In the end, the love you take is equal to the love you make.
結局、あなたが得る愛は、あなたが与える愛の量に等しい。

音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る

I used to think that anyone doing anything weird was weird. I suddenly realized that anyone doing anything weird wasn’t weird at all and it was the people saying they were weird that were weird.
かつて私は何か奇妙なことをしている人は全員奇妙だと思っていた。突然気づいたんだけど、実際には何か奇妙なことをしている人はまったく奇妙ではなくて、彼らを奇妙だと言っている人こそが奇妙だということに気づいたんだ。

今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである

大金を持った貧しい人のように暮らしたい

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

僕って未熟だなって話です。どうすりゃいいのか未だにわからないし、わかって楽になったらいいなとは思う。ライブでも毎回緊張しますからね、どんな声が出るかわかんなくて。

重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである

何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる

音楽家は勉強が好きじゃないと務まらない仕事

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる

Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.
死はただ一つの部屋から別の部屋へ移ることに過ぎません。しかし、私にとっては別です。なぜなら、その別の部屋ではきっと私は見ることができるからです。

生まれたからには、生きてやる。

なんでもいいから、まずやってみる

私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

群馬の一匹狼の皆さんこんにちは!これからも一人で頑張って生きて行って下さい! (群馬ライブにて)

宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない

内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い

数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。

True happiness… is not attained through self-gratification, but through fidelity to a worthy purpose.
真の幸福は、自己の快楽によって達成されるのではなく、価値ある目的への忠誠心によって得られるのです。

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要

自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる

赤がなければ、青を使います

何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ

今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ

残る音楽を作りたい

いつもね 最新作が最高傑作なんだよ 僕の中ではいつもそうだよ

電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む

僕は不確定というか、絶対にこうだって言い切れないものがあればあるほど面白いと思うよ。その分言い切りたい奴が言い切れるじゃん 僕はロックンロールに対していろんなことをいっぱい言い切る

世の中を変えるには政治家になりゃいいとか自分に言い聞かせてたりするけど違う、おれらには音楽っていう武器がある

DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ

複雑なものはうまくいかない

僕らは全然清く正しくない だからってコソコソはしたくない コントロールできないことなんて山ほどあるよ 笑顔だけは失くさないでくれ たとえ誰かに罵られてもさ 僕はそういうとこが好きなんだ そいつらに中指立ててあんたらみたいにはならないよって言ってやろうぜ

どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。

型にはハマらずにいたい

急流中底の柱、即ち是れ大丈夫の心

くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の

大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。

どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

長いこと暗い道を歩いてると……この先もずっと暗いもんだと思っちまう。前に進むことがイヤになる。自分の道がこの先どうなってるか分かってるやつなんてこの世にひとりもいねえ。俺らにできるのは立ち止まって泣くか、一歩でも前に進むかのふたつだけだ。あんたはどっちでも好きな方を選んでいい。入り口までは 俺が案内してやる

どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと。

いや、40年と30秒だよ

……キスやな。キスかそれ以上のことやろな、やっぱり。歯…… 磨いとるな?六代目。

世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?

College isn’t the place to go for ideas.
大学はアイデアを得るための場所ではありません。

より良くならなくていいんだよ。俺たち最高なんだから。

5年も6年も前の曲。これから歌う曲。この曲書いたときあぁ夢見てるんだねっていわれた。夢追いかけてると必ず言われることがあんだ。お前らも言われてると思う。俺らもよく言われた。今でも言われんだ。[大人になれ]って。でも大人になったからって夢みないってのとは違うと思うんだ

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに

学問は生涯を通じて心掛けねばならない

非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している

反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。

ライブで観たときのダイナミクスってすごいでしょう。そのための技術を磨いておきたいと思いながらやってきたけれども、ライブってそれだけじゃ足りなくなる瞬間があって。そのときに引っ張り出されてきているのが人間力みたいなものなのかもしれないけれど、あまりそこに頼りたくないと思いつつ、歌っているだけですごいと言われるような歌い手になりたいというのはずっとあるんだよね

作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

普通なことが特別で特別であることが普通なこと

あまり頭が良くない俺には、温度を低くして生きることは向いていないと分かっているから、身体を使って、燃えて生きていたいなという想いがあって

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

結果オーライって凄くいいことだと思わない?

聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ

10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事

本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって

言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば

女には、生まれつき筋をつらぬく面がある。男よりずっとしっかりしているよ

監督の意向に従うことは大事だが、望んでいる通りのものを書いていたのではいけない

筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか

集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。いくつかの理由はすでに明らかである。貢献を行うための時間よりも、行わなければならない貢献の方が多いからである

毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策

20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。

私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ

私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい

(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)
