恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
今日はジョン・レノンの命日。家に帰ってイマジンを聴く
言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。
芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない
ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない
コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。
神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである
現状を把握しなければ未来は語れない
曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主
ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに
人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる
女性は行動するより前にこうしよう、と考えることがあまりない生き物なんじゃないかと思うんです。先に手が出るというか、体で感じて体で動くっていう
(音楽にスーパースターは必要?という質問に対し)自分がなればいいんじゃないッスか、自分にとってね。そう思えないヤツはずっと誰かの真似になっちゃうんじゃないかな。
もし、黄色と橙色がなければ青色もない
僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう
芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる
手ぇ離せや。俺はもう誰の命令も聞かん。あの娘のことはもうほっといたれ。これ以上 手ぇ出すんやったら嶋野の親父やろうが殺すで 俺は……
いや、40年と30秒だよ
創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる
有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い
目の前で襲われてる女の子を黙ってみてられるほど、俺は大人やないんや。
学問は、ある人にとっては神々しい女神であり、他の人にとってはバターをくれる有能な牝牛である
安定とか定着ならこっちから願い下げだ。媚びるのも飼いならされるのもごめんだ。すごいシンプルにいこう。作家は作れなければ死ぬだけだ。そのルールに異論は全くない。やったろうじゃんか
ダイヤモンドの行商人がやってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。俺らが欲しいのは今だけです。
Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。