運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか
あなたの日常は唄になるんです。
僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ
最も重要なことから始めなさい
兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。
子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ
煮詰まったらドラクエやる
テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする
思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ
ルソーの「ラブレターを書く時は、何を書きたいか何も考えずに書き始めて、それが思い浮かぶ前に書き終えろ」っていう言葉があって。
素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である
限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。
そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ
画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう
いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ
イメージの共有がしたいだけなんだ。言葉の共有じゃなくてどこかもやもやっとしたイメージをひねりだして曲にする。そのもやもやを共有したいだけなんだ。それで「生きてやるぜ!」って思ってもらえれば、「生きるっていいな」と思ってくれればそれでいいです。
人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと
我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である
(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う
安定とか定着ならこっちから願い下げだ。媚びるのも飼いならされるのもごめんだ。すごいシンプルにいこう。作家は作れなければ死ぬだけだ。そのルールに異論は全くない。やったろうじゃんか
真のマーケティングは顧客から出発する。すなわち人間、現実、欲求、価値から出発する
もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない
自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる
学ぶという事は一生続く、変化に遅れないようについていくためのプロセスだという事実を、私たちは今では受け入れている。そして、最も緊急な課題は人々に学び方を教えることである
「最初はグー」ってなんであるんだろう。
優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む
Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな
売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ。
希望と失望は同じものですよね? 心が優しい人ほど毎日泣いていて幸せな時間ほど早く過ぎて、失望したことがない人は希望の意味を知らないし。同じものなんですよね。だから、俺はひたすら希望を綴っているだけなんです
調子が良くなかろうが、ノルマを達成するように進めていかなければこなしきれない
好きなものは変わらなんなあ。歳をとるほど、より確信になる
いいよ。行っちまえよ。何処へでも。何処にでも届くように唄ってるからさ。
神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである
お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね
(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です
あまいなぁ〜 桐生ちゃん …アマアマや!
世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく
日本人の強みは、組織の構成員として、一種の「家族意識」を有することにある
僕は一貫して自己満足です、めざすものは
人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と
今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)
言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります
私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた
人生をね、棒に振りたいんだよ
一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。
だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです
俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。
音楽は言語のルーツなんじゃないかな
冒険こそが、わたしの存在理由である
家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね
God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。