オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ
俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!
愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある
5年も6年も前の曲。これから歌う曲。この曲書いたときあぁ夢見てるんだねっていわれた。夢追いかけてると必ず言われることがあんだ。お前らも言われてると思う。俺らもよく言われた。今でも言われんだ。[大人になれ]って。でも大人になったからって夢みないってのとは違うと思うんだ
会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ
学問的な言い方ではないが、仕事ができる組織は仕事を楽しんでいる
やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。
『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣
お前自身を知ろうとするならば、いかに他の人々が行動するかを観察せよ。お前が他の人々を理解しようとするならば、お前自身の心を見よ
激流にも耐えうる柱のように揺るぎない信念を心に持て
音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。
俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。
普段の生活が幸せならいいんだよ。だけど、本当につらいときに聴いてみな。ROCKはお前等を救うよ
音楽っていうのは、96%まで技術です
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。
常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ
偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが
僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける
コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから
孤独であって、充実している、そういうのが人間だ
あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である
カニバリズムは最も明確な優しさの表現のひとつだ
お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね
お金なかったのでお母さんのお兄ちゃんにトラック運転してもらってトラックで上京した
Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。
反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。
College isn’t the place to go for ideas.
大学はアイデアを得るための場所ではありません。
思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ
私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす
自分を混乱させるような何かが欲しい。それによって私は新しいものを生み出す
低気圧が僕を責め立てる。
行動がすべての成功の鍵だ
我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである
愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ
音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る
なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ
Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。
6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている
彫刻に独創はいらない。生命がいる
(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない
昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。
飛べないホソミはただのタケシだぜ
これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
世界史は世界審判である
なんで嫌な時に笑ってんだよ。なんで悲しいのに笑ってんだよ。泣きたい時は泣いて、笑うときにバカみたいに笑えよ
意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!
笑ってくれりゃあ本望だよ
自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ
世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ
できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である
私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です
イエスとノーのあいだに真実が息づいている
(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど
教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している
ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。
挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない
チャンスは鳥のようなものだ。飛び去らないうちに捕らえよ
体力的な無理はできるけど、精神的な無理は良くない
(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい
この会場には仕事やっとるやつ、やっとらんやつ、学校行っとるやつ、行っとらんやつ。いろんな人がおると思うけど、お前らはライブを見に来とる。俺らはライブをやりに来とる。それで問題なかろう。
基本的に私は家の中で曲を作る
僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる
私は捜し求めない。見出すのだ
ステージに出る前、死刑台に上がってく気分になるときがあるんだ。ギロチンの下に頭を置いて審判が下される。
横浜港町・・・・・(この間、観客の歓声)おぅ、何か、微かに海の匂いがするぜ。(99年1月17日横浜アリーナにて)
よほど守らなきゃいけないものができるとか。自分の人生をすべて捧げなきゃいけない時が来るんですよね。
この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)
明日のための今日じゃありません。今日のための今日です
頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!
自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない
制服は征服するためにかかせない。私の人生を通じて、市民の衣装を着るほど自分をおとしめるのは稀だった。私はいつもダリという制服を着ている
Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。