自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない
最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね
Yeah we all shine on, like the moon, and the stars, and the sun.
そうさ、僕らは輝けるんだ。月のように、星のように、太陽のように。
ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ
自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ
どうしてなんだ?どうして俺が来るとこうなるんだ?どうして誰かが、犠牲にならなきゃならないんだ……? なんでだ?なんでなんだ……!
素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する
私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない
Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。
現状を把握しなければ未来は語れない
I believe in God, but not as one thing, not as an old man in the sky. I believe that what people call God is something in all of us. I believe that what Jesus and Mohammed and Buddha and all the rest said was right. It’s just that the translations have gone wrong.
僕は神を信じているけど、唯一のものではないし、空の上の年老いた老人としてでもない。僕は、人々が神と呼ぶものは、僕たち全員の中にあるものだと信じている。イエスやムハンマド、ブッダやその他の人々が言ったことが正しいと信じているよ。ただ、解釈が間違っているだけだと思う。
大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ
「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ
自然に線は存在しない
画家は労働者が働くように勉強しなければならない
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ
高松の不良の皆さんこんばんは!(高知ライヴにて)
美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように
「病気になったのは罰なんだ」「人の言うことを聞かないからこういうことになるんだ」と、自分を責める気持ちから曲が生まれた。ネガティブな気持ちを書いている。
僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。
女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす
出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。
10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う
この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない
未来は真っ暗。 お先真っ暗というのはすげー前向きな言葉だよ。真っ暗なんだよ。どこがいけないんだよ。そん中に すっげー誰も見たことがない、どんなに勉強したってわかりっこない、 素晴らしいものが隠れてるかもしんない。 真っ暗ってことはいいねえ。みんな平等で。
後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる
99回倒されても、100回目に立ち上がればよい
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。
子どもの頃は、おもちゃよりもレコードを買ってもらう方が嬉しかった
自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した
自分を肯定するために一所懸命考えるんだ
戦争は戦争を養う
世界史は世界審判である
私は芸術でも何でも、全部がエロビデオみたいに受け止めてもらえればいいって思ってるんです。グッとくるか来ないかっていう、ただそれだけ
裏切られたなら落胆を味わえばいい。信じた先の素晴らしさを俺は知ってるから。
別に社会に出ようが学生だろうが変わらねぇと思うけど、あの、…結局ね戦い、だと思うよ人生。 戦わなきゃぁそりゃ、寄ってたかって叩かれて、お終いさぁ。だから、不安なのはしょうがないけど、自分の足で立つしかねぇんじゃね
芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように
我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する
絵を描くのは人生に耐えるための手段だ
ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい
たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
やっぱり音楽は大好きなことで、他に代わりがないから緊張するんですよ。今日のライブがダメでも、他でがんばればいいやとか、そういうもんじゃないから。
家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる
人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである
僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。
後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ
神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ
曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です
書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。
母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった
人生に意味はないよ。だって暇つぶしじゃん。暇なんだよ。みんな人生80年もいらないんだよ。3日もあれば終わるんだ。やることなんて。意味なんかないんだ。楽しければいいんだ。
愛してるってどういうこと?愛してるって言葉の響きが重すぎるよ。愛せる程立派な人間じゃないですよ。
傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ
仕事は点ではなく線だ
(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる
(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない
普段の生活が幸せならいいんだよ。だけど、本当につらいときに聴いてみな。ROCKはお前等を救うよ
闇鍋みたいなもんですよ、人生。何入ってるかわかんないけどどれかつまんで食べるしかないみたいな
現実とつじつまが合わないイノベーションを手掛けてはいけない。そのようなイノベーションが実を結ぶことは希である。たんにその新奇さのゆえに、魅力的に見えることが少なくない。しかし、それらの多くはたとえ失敗しなくとも、莫大な資金と時間を要する
今真剣なんだ。邪魔するな!
曲のメロディはもちろん大事ですが、大きな構造で考えるとスコアは設計図みたいなもの
目標に達するまでの道筋を多くしないこと
生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって
If everyone demanded peace instead of another television set, then there’d be peace.
もしすべての人がもう一台のテレビよりも平和を欲すれば、きっと平和は実現する。