6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている
インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて
着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない
本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない
声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!
The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched – they must be felt with the heart.
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは見たり触ったりすることはできない。
曲作りの勉強は独学です
広島も付き合い長いな。しかし、付き合い長いとなんか感情が湧いてくるよな。こういうの、何ていうんだ?……憎しみ? (広島ライブにて)
Life is what happens to you while you’re busy making other plans.
人生とは、人生以外のことを夢中で考えている時にあるんだよ。
たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、お前ら、覚悟決めろよ
神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ
ゆっくり急げ。美よりも速く走れ
人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ
絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ
さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね
凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです
I believe in God, but not as one thing, not as an old man in the sky. I believe that what people call God is something in all of us. I believe that what Jesus and Mohammed and Buddha and all the rest said was right. It’s just that the translations have gone wrong.
僕は神を信じているけど、唯一のものではないし、空の上の年老いた老人としてでもない。僕は、人々が神と呼ぶものは、僕たち全員の中にあるものだと信じている。イエスやムハンマド、ブッダやその他の人々が言ったことが正しいと信じているよ。ただ、解釈が間違っているだけだと思う。
好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す
芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ
たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ
お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!
喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない
やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。
人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい
ありとあらゆる感覚を総動員させ、自分を限界まで追い込んでいく
神は勇者を叩く
成果をあげるための秘訣をひとつだけ挙げるならば、それは集中である
僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ
言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。
芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように
自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている
夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き
Life is an exciting business, and most exciting when it is lived for others.
人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです。
考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。
絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。
みんなで盛り上がることをするな。お前が一番盛り上がれ
大事は寄せ集められた小事によってなされる
人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い
突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。
The most pathetic person in the world is someone who has sight, but has no vision.
世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人です。
誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう
どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである
同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ
レコーディングするようになって18年。いまだにミックスってわからない。難しい。だからおもしろい。なんだろな。なんだろな。音楽っておもしろい。
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。
素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない
世の中に言いきれることってねえが。 でも恋愛は絶対素晴らしいと言いきるよ
人生に意味はないよ。だって暇つぶしじゃん。暇なんだよ。みんな人生80年もいらないんだよ。3日もあれば終わるんだ。やることなんて。意味なんかないんだ。楽しければいいんだ。
己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです
何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。
音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない
(どんな音楽を聴いて育った?)スピッツ、浜田省吾、平井堅、ユーミン、BOØWY、オザケン、フリッパーズギター。でも自分が学生時代に流行っていた、HYとかORANGE RANGEなんかもたくさん聞いてきました
彫刻は、凹凸の術である
God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。
人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる
人生は、水平方向に落ちていくことである
もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない
この会場には仕事やっとるやつ、やっとらんやつ、学校行っとるやつ、行っとらんやつ。いろんな人がおると思うけど、お前らはライブを見に来とる。俺らはライブをやりに来とる。それで問題なかろう。
他者同士だからさ、分かりあえなくて当然
苦痛は短く、喜びは永遠である
I long to accomplish a great and noble task, but it is my chief duty to accomplish small tasks as if they were great and noble.
私は素晴らしくて尊い仕事をしたいと心から思っています。でも私がやらなければならないのは、小さな仕事をも素晴らしくて尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのです。