絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ
今日が幸せすぎるとだいたい明日が怖い
あたしロマン派だから。猫の名前もゲーテとシューマンだし。
聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである
まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!
だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!
低気圧が僕を責め立てる。
自分を好きになれない奴が、どうあがいたって好きになってはもらえないだろうな、きっと。
ドリフターズのお客さんを見てごらん? 大人がいないだろう? 小学生くらいの子供たちでいっつも会場は満員なの。で、大人になったらその子たちは卒業していなくなる。でも次の子たちが入学してまたドリフターズを観に来るの。
笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!
最高で当たり前なんだよ
幹部の仕事と知識とは、あまり関係はない
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね
絵を描くのは人生に耐えるための手段だ
いかなる革命も、3日目から堕落が始まる
凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ
(身長・体重・胸囲は?)168cmぐらい、50kgそこそこ。胸囲は僕に抱かれてみて判断しろ
死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。
No pessimist ever discovered the secret of the stars, or sailed to an uncharted land, or opened a new doorway for the human spirit.
悲観論者は星の神秘を発見したり、未発見の土地に航海したり、人類の魂への新しい扉を開くことは決してできません。
僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。
目標に達するまでの道筋を多くしないこと
たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
心が揺れたところで決着はもうついてんだ
全部は混沌としてるから面白い
10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事
俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!
女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす
型にはハマらずにいたい
顧客にとっての価値を想像してはならない。直に聞かなければならない
(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です
(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ
制服は征服するためにかかせない。私の人生を通じて、市民の衣装を着るほど自分をおとしめるのは稀だった。私はいつもダリという制服を着ている
侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ
私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった
戦争やってる遠くの国のことよりも友達の方が大切だと思うけどなぁ
教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している
自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない
悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの
儚いって言う字は『人』の『夢』っていう形をしているけれどそんなものぶち壊して、ざまぁ見ろって言ってやりな。
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
私は天才を自覚している
期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える
オルタナをやり始めた時は、「暗い」「分かりにくい」という声があって、若干構えてしまったんです。力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。すごく文字にしづらいかもしれないけど、スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか
母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった
長いこと暗い道を歩いてると……この先もずっと暗いもんだと思っちまう。前に進むことがイヤになる。自分の道がこの先どうなってるか分かってるやつなんてこの世にひとりもいねえ。俺らにできるのは立ち止まって泣くか、一歩でも前に進むかのふたつだけだ。あんたはどっちでも好きな方を選んでいい。入り口までは 俺が案内してやる
テストの点数でお前らの価値は決まらねぇ
上手にするってことなんか必要じゃなくて、熱くなればいいんだよね。
僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。
あの、いばってる奴らは早く居なくなって欲しいよ。何もわかってないくせに偉そうにしてるなんて、そんなみっともないことはない
詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ
チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである
好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。
You won’t get anything unless you have the vision to imagine it.
心に思い描かなければ、何も得られない。
いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います
運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない
裏切られたなら落胆を味わえばいい。信じた先の素晴らしさを俺は知ってるから。
人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い
好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す
最強頑張っている人を見ると泣きそうになる。かっこよくて。俺もああなりたい
忠誠心を買うことはできない。獲得すべきものである。金の力で引き留めようとすれば、引き留められた者が誘惑に対する自分の弱さを会社のせいにするだけである
何もすることがないから明るく引きこもってるんだ。でも結構楽しいです
俺らがなんでロックやってっかというと、ロックはさ、汚ねぇ言葉とかすっげぇ使ってるよ。それが受け入れれない奴は、まだロックなんて必要ねぇんだよ。でも、絶対なんか壁にぶちあたった時、ロックを聞くとさ、こんな汚ねぇこと考えてるの俺だけじゃねぇんだって思えるからさ。だから、俺らはおまえらのためだけにロックをやるよ
会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ
誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか
エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!
As usual, there is a great woman behind every idiot.
いつだってバカを支えているのは偉大な女性だ。
素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない
Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。