


自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する

常に100%満足できる作品を作るべきだと思うし、そうすることが俺らの音楽を待ってくれる人たちへの最高の礼儀だと思うんですよ。

ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい

涙が出てきたら、耐えて、苦しんで、そして前進あるのみだ

人間は、「自分でなければ出来ない」と錯覚していることが多すぎる

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

いつだって、今やるのが一番いい

ぼくはいつでも、一生懸命歌を作ってるんだよ。才能があるから歌が出来ると思ってるのかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ。

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました

マーケティングの理想は販売を不要にすることである。つまり、製品がおのずから売れるようにすることである

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched – they must be felt with the heart.
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは見たり触ったりすることはできない。

世の中には違った考え方をする種族がいる

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む

人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない

ロックであるとかないとか言ってるアンタが一番ロックじゃねえんだよ

意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。

過去のバンドの名前や音楽を具体的に挙げて、こういうふうにしようと話し合ったことはない。やりたいときに、やりたいことを、やりたいようにやる。そんな自由さを失わずにいこう、みたいなことは話したけど。

(ビートルズの音楽は)8:2くらいの割合で、暗いところか隠されているところが好き

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

みんなで盛り上がることをするな。お前が一番盛り上がれ

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

いつからこの国はこんなにもセコイ人間の集まりになってしまったんだ。

どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである

何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。

俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ

内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。

「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない

今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから

第一印象というのは作り手として「いいものを作ってやろう」という思いから生じる余計な観念にまだ支配されてないから、感じたままが最も素直に表れている

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある

人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

忍耐もまた行動の一つの形態だ

あなたの人生の灰色を消してごらん。そして内に秘めたカラーで彩るんだ

経営者は常に現実的でなければならない

「私は大衆の中の一人であって大して変わりはない」っていう風に思いたいから。絶対に私は普通のことを言ってて、誰しもが思ったことのあるることを言ってるはずで。

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

被写体に最初に出会った時の写真が一番良いんですね。うまく撮ろうとたくらんだ写真は、素直な力がなくなる

腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ

大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。

苦痛は短く、喜びは永遠である

人に善をなせば、とがめられるものだ

わたしは立ち止まりはしない

昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが明日をつくることよりも大きなリスクを伴う

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ

自分じゃない自分を出すのが怖い

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

こんなに色んな人が関わりあうのは、俺、音楽しかねぇと思うんだ。てか、音楽しかしらねぇ

デビューした時は、前途多難だなぁっていう感じでしたね。決して華々しい感じじゃなかった

頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ

オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)

もう俺は、相手がお客さんであろうが、メンバーであろうが、友人であろうが、音楽でしかきっと何も伝えられない。
