


作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

僕がどうしてもそこから逃げられないぐらいに取り憑かれてるものっていうのはロックンロールに秘められた把握できない未知の価値観なんだよ。

学問は、ある人にとっては神々しい女神であり、他の人にとってはバターをくれる有能な牝牛である

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

この街は牢獄や……。俺が塀の外に出られんのは いつなんやろな兄弟……

悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある

自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である

変わるっていうのはそんな大きな話じゃなくて。今日の夜から、母ちゃんにありがとうって言ってみるとか、言えなかったひと言を言ってみるとか…。100年後、ここにいる全員がいないから、たぶんね。それぐらいあっという間のことなんだよ。

あんたがたが俺の財産だ。俺達の誇りだ。それで生きていられるんだ。いっつも助けられっぱなしで申し訳ねぇと思う。精一杯作曲する。本当にありがとう

第一番に稚心を去らねばならぬ

College isn’t the place to go for ideas.
大学はアイデアを得るための場所ではありません。

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

んだ。学びは終わらない。んだ。

作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ

子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人

妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。

突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。

君を見つけ出した時の感情が、今も骨の髄まで動かしてんだ

現状を把握しなければ未来は語れない

あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ

今の音楽の置かれてる状況の事とか、悲しくなっちゃう所がありますよね。パソコンで150円で買えるとか、若い頃の自分にとって凄い高かった、3000円とか2800円っていう感覚、その感じがもう無いっていうのは、なんかちょっと悲しいですね。

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

他者同士だからさ、分かりあえなくて当然

(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない

日々楽しく過ごしているということは、今を生きているということなんだ

愛しあってるかい?

結局はひたすら考えるしかないという心境になっている

僕らの音楽は誰にも揺るがされなくなりました。他のどんな要素にもびくともしない、僕らと音楽の関係が完全に守られました。

妄想と勘違いでロックンロールは転がり続けてるんだから、これを解放しないことには何も始まらない。

ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)

自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。

最高で当たり前なんだよ

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである

幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けること

これからは自分の為に歌おうと思います。 俺が俺であることを好きでいるとその日はすげぇー楽しいのね。でも俺が俺であることが嫌になってしまうと、その日1日もぅ何もかもが駄目なわけ。俺はかっこよく生きたいです

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう

手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある

ツアー中、ステージからみえたお客さんの顔。知ってる人もいた。知らない人もいた。ひょっとしたら また会えるのかな

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ

自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。

僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。

出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの

想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる

「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

世の中に言いきれることってねえが。 でも恋愛は絶対素晴らしいと言いきるよ

経営者は常に現実的でなければならない

ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。

あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない

自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする

なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい

(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

出産じゃなくても、女の人にはあることだと思いますよ。(感覚ではなく)頭で理解しようとしちゃう瞬間が、人生で何度かあるんじゃないでしょうか。大きな選択っていうか

(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。

今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました

で、みんなが「そうやるべき」だなんてことは全然ない。好きにすればいい。俺はどうするかは、俺が決める。それが売れるとか売れないとか、そういうことじゃなくて、自分が恥ずかしいと思わないように、書き続けるだけ。毎回、たったひとりの場所からそれをやる。

色彩は、それ自体が何かを表現している

歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない

私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです

ミュージシャンなんて死ぬほどいっぱいいるじゃないですか。そんな中で俺らの曲を見つけてくれてね、自分が求めてるものがあるってなんとなく感じて、その中から探そうって思ったその感覚がまずその人の才能であり、努力だったんじゃねぇかな。

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。

忍耐もまた行動の一つの形態だ

変わることをこばむのでなく、変われたことを褒めたいんだ。

人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。

反者から学ぶ事はたくさんあるけど本当に大事なのはそっから先に行く事だ

運が悪かったんだよ …お前等は

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて

他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う

ひらめくまで待つ

地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。

人は大きな目的を持ってこそ、おのずから大きくなれる

いかなる創造的活動も、はじめは破壊的活動だ

人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか

相手を尊敬することができぬなら恋は起こりえない

人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

ぼくはいつでも、一生懸命歌を作ってるんだよ。才能があるから歌が出来ると思ってるのかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ。

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

何があっても、賛成反対両方あるのは自然。

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。

僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ

否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。

さぁライヴハウスへ帰ろう

笑ってくれりゃあ本望だよ

『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』

子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね

絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている

何もしなくても、ほっといても勝手に時間は進む

私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う
