大金を持った貧しい人のように暮らしたい
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである
時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない
迷い、夢見ることをはばかるな。高い志向はしばしば子供じみた遊びの中にあるのだ
イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ
その日、歩ける一歩を歩くだけ
毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です
何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。
「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)
思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ
未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである
俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!
市場において目指すべき地位は、最大ではなく、最適である
早く大人になりたいとか、まだ子供だとか。違うんじゃないか?俺は俺なんだ。藤原基央なんだ。俺はもっと良い藤原基央になれるように頑張るんだ
成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、最も欠乏した資源である。それが時間である
作曲家として一番大切な事は、とにかく曲を書き続ける事
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。
あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな
思い出すのは、あんまよくないよ
何と嫌な商売だ
モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか
自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる
Life is very short and there’s no time for fussing and fighting, my friends.
人生は本当に短い。空騒ぎしたり、争ったりする暇なんてないんだ。
最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない
桐生ちゃん。わしなあ……ゾンビになってしもたかもしれん。
もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない
自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。
「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った
学ぶという事は一生続く、変化に遅れないようについていくためのプロセスだという事実を、私たちは今では受け入れている。そして、最も緊急な課題は人々に学び方を教えることである
「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。
人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる
ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する
自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる
感情が伴わない作品は、芸術ではない
自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。
今日は本当に最高じゃ。どうやら、この鉄の檻(おり)は人の心までも縛れんようじゃな。
あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である
ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。
ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。
モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう
私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です
「お客様は神様」ですから
人の本当の仕事は30歳になってから始まる
オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい
芸術家の資格は、智慧と注意と誠実と意志のみである
人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている
苦痛は短く、喜びは永遠である
この世には、何一つ決まってることなんてないんだよ。 ただ、そう思いこんでるだけ。
小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった
親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか
As usual, there is a great woman behind every idiot.
いつだってバカを支えているのは偉大な女性だ。
電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。