どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。
偉大な精神は、静かに忍耐する事を知っている
感情が伴わない作品は、芸術ではない
私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ
ライブで観たときのダイナミクスってすごいでしょう。そのための技術を磨いておきたいと思いながらやってきたけれども、ライブってそれだけじゃ足りなくなる瞬間があって。そのときに引っ張り出されてきているのが人間力みたいなものなのかもしれないけれど、あまりそこに頼りたくないと思いつつ、歌っているだけですごいと言われるような歌い手になりたいというのはずっとあるんだよね
真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ
普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!
持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る
市場において目指すべき地位は、最大ではなく、最適である
私たちは生涯、忠義を尽くし、御恩に報いる目的で一切の艱難を乗り越えなければならない
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。
芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切
退屈を怖がってちゃいけない
基本的に私は家の中で曲を作る
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事
手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある
他人の短所が目につきすぎる人は、経営者には向いていない。長所を効果的に発揮させるのが自分の仕事だと考える人が、有能な経営者になれる
覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ
感性を磨くとは、こうした直感を鍛えることだと思う
音楽は言語のルーツなんじゃないかな
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている
これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない
芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる
わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ
己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです
ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。
青年は決して安全な株を買ってはならない
何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。
それしかないんだから。腹をくくって、あきらめて。そこに行き着くまでにいっぱい考えればいいと思うし、失敗もすればいいと思うんだよ。
この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ
やるからにはナンバーワンを目指したい
恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない
誰にでも何かの仕事に適する素質がある。世の中が必要とするものは多く、自分が役に立てることが必ずある
直観力と想像力を、抑え込んではならない
10年かかってもまだわかんねぇのか?お前らが俺らを必要としてるんじゃない。俺らがお前らを必要としてるんだ
皆ね、知らず知らずのうちに、はじき出したビー玉持ってると思いますよ。その存在がおそらく誰にでもあると思いますよ。だから場所をとってるわけですよね、僕らはね。
声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!
一番確実な未来予知の方法は、未来自体を作り出してしまうことである
多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。
思い出すのは、あんまよくないよ
「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って
芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように
俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。
この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ
「僕は永遠に生きます」って今思ってる。明日も思ってる。あさっても思ってる。10年後も思ってる。20年後も思ってる。そしてある日死ぬんだ。うん。それがいいな。
真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう
生産性を上げる一番簡単な方法は、今、一番成果が出ている仕事に集中し、成果が出ていない仕事からは、撤退してしまうことである
人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と
人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる
美はざっと見てもわからない
成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない
最終日だからって、特別なことはありません。最終日が特別なんじゃないんだよ。ロックンロールが特別なんだよ
指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです
返信への返信(「Re:Re:」)という意味ですが、アルバムの場合、曲の並びが“ラストシーン”から“サイレン”で悲しすぎたので、『もう一度』という意味をこめてタイトルをつけました。(『Re:Re』について)
(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)
徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。
人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい
志のない人間は魂のない虫と同じで、いつまでも発展することは無いのだ
I long to accomplish a great and noble task, but it is my chief duty to accomplish small tasks as if they were great and noble.
私は素晴らしくて尊い仕事をしたいと心から思っています。でも私がやらなければならないのは、小さな仕事をも素晴らしくて尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのです。
自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある
幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である
勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ
人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う
(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います
(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
イエスとノーのあいだに真実が息づいている
原因は何十年かのちに学者が明らかにするだろうが、行動する経営者としては待っていられないだろう。使えるもの、分かったことはどんどん使いなさい
As usual, there is a great woman behind every idiot.
いつだってバカを支えているのは偉大な女性だ。