


やりたい事やったもん勝ちなので全部やりたい

お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

生きてると後悔はつきもの

最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない

普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう

なんか最近いろんなことが理屈っぽくなってるじゃない。でも人をふさぎ込ませるものなんてそんなになくていいんだよ。悲しいことは世の中にいっぱいあるんだから。

ドリフターズのお客さんを見てごらん? 大人がいないだろう? 小学生くらいの子供たちでいっつも会場は満員なの。で、大人になったらその子たちは卒業していなくなる。でも次の子たちが入学してまたドリフターズを観に来るの。

指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです

我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する

ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。

戦争やってる遠くの国のことよりも友達の方が大切だと思うけどなぁ

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?

純粋に泣けてしまうことって本当にある

少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。

自殺はやめろ。生きろ。

勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです

運が悪かったんだよ、お前らは

ドローンが敷かれて、そこに何かが乗っていくスタイルって本当に、自分でも作るけど畑が焼き尽くされているっていうか、「ああまたこれか」って感じあるんですよね。自分で作ると自分の趣味に沿うから楽しく聴けるけど。それでいいとも言えるし、よくないとも言える。

一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから

人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない

毎回が真剣勝負

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

自分が興奮できないようなものではダメ

基本的に私は家の中で曲を作る

リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ

確実にたくさんの曲を作り続けていくには、気分の波に流されてはいけない

自分を支えているのは、自分

女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう

All you need is love.
愛こそはすべて。

チャンスは鳥のようなものだ。飛び去らないうちに捕らえよ

言葉っていうのは、感覚に1番近いものを当てはめるだけだから感覚が伝わるわけじゃないんだよね。自分の心の中で生まれた感情・感覚に、1番似合った服を着せたものが言葉だから。

なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね

エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか

絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている

歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない

己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです

自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。

空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。

今の音楽の置かれてる状況の事とか、悲しくなっちゃう所がありますよね。パソコンで150円で買えるとか、若い頃の自分にとって凄い高かった、3000円とか2800円っていう感覚、その感じがもう無いっていうのは、なんかちょっと悲しいですね。

一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。

自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい

俺らがなんでロックやってっかというと、ロックはさ、汚ねぇ言葉とかすっげぇ使ってるよ。それが受け入れれない奴は、まだロックなんて必要ねぇんだよ。でも、絶対なんか壁にぶちあたった時、ロックを聞くとさ、こんな汚ねぇこと考えてるの俺だけじゃねぇんだって思えるからさ。だから、俺らはおまえらのためだけにロックをやるよ

思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ

もうすぐクリスマスだねぇ・・・なんか楽しいねぇ(笑)(2006/12 The Birthday広島にて)

大事は寄せ集められた小事によってなされる

オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)

一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり

自殺か三枚完結かでしょ?ロックストーリーって。

芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか

What I am looking for is not out there, it is in me.
探しているものは外になく、自身の中にあるものです。

だって欲しいから手に入れるんだし、好きだから抱きしめるんだよ。もったいないからとっとこう、ってのはちがう。その時点でそれはゴミなんだ。

「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!

リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね

犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか

着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ

俺らも街頭に立って声を張り上げて生活費稼いでるあの人たちと一緒ですよ。『生きようとしている』人たちなんですよ。だから本当に、僕らが歌うこととホームレスの人たちがこの雑誌(THE BIG ISSUE JAPAN)を持って駅前で声を張り上げるのは、同じ行為だと思ってるんです。

安定とか定着ならこっちから願い下げだ。媚びるのも飼いならされるのもごめんだ。すごいシンプルにいこう。作家は作れなければ死ぬだけだ。そのルールに異論は全くない。やったろうじゃんか

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

今まであんなにときめいてきて、あんなに翻弄されて、電話のなかに彼がいると思って電話をずっと見てた、ああいう時間は何だったんだというぐらい、まったく次元の違う大事なものができてしまう瞬間があるんですよね

感動することこそが、人類の最も贅沢なこと

「やさしくなりたい」という意思、それはすごく大切だなと思う

要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

真理に年齢はない

ウインカーはひっこめようぜ、俺たちは直進するんだ

大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ

どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?

全力を注がなければ、単に約束と希望があるだけで、計画はない

青年は決して安全な株を買ってはならない

非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ

ありとあらゆる感覚を総動員させ、自分を限界まで追い込んでいく

心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。

僕はいろいろなとこでいろいろな人に聞かれるんだよ。『楽しけりゃいいのか?』って。いいんだよ。そのかわり,楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。

若さと年齢は無関係

I believe in God, but not as one thing, not as an old man in the sky. I believe that what people call God is something in all of us. I believe that what Jesus and Mohammed and Buddha and all the rest said was right. It’s just that the translations have gone wrong.
僕は神を信じているけど、唯一のものではないし、空の上の年老いた老人としてでもない。僕は、人々が神と呼ぶものは、僕たち全員の中にあるものだと信じている。イエスやムハンマド、ブッダやその他の人々が言ったことが正しいと信じているよ。ただ、解釈が間違っているだけだと思う。

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。

ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ

電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

顔に性格が表れるように、声には人生が現れる。言葉でどうこうするより、何万時間語り合うより、一曲でいいから自分の書いた歌を聴いてもらえば分かりあえる気がしちゃうんだよな

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

楽曲は成り行きだけど、僕とマーシーは20数年間、その成り行きの『成り行かせ方』をやってきた。スタジオに入った瞬間に、僕とマーシーの空気はあるんだと思う。今は4人でうまーい成り行かせ方をしてんじゃない?そんな気がする
