


デビューした時は、前途多難だなぁっていう感じでしたね。決して華々しい感じじゃなかった

(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので

本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。

作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

Before Elvis, there was nothing.
すべての始まりは、エルヴィスだった。

何もしなくても、ほっといても勝手に時間は進む

筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。

ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ

芸術は、意識と無意識の融合である

抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ

お金って、ただの道具じゃないですか

決断の場面においてはトップは常に孤独である

(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

とにかく俺は本気で、音楽で少しでもこの世界をよくできると信じてる。いつ終わるかわからない自分の人生を、その目的のために捧げたいといつからか思うようになりました。だから、休んでる暇なんかない

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

マラソンランナーと一緒で、長距離を走り抜くにはペースを崩さないこと

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。

意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。

見放さなければ、失うということもありません

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

横浜港町・・・・・(この間、観客の歓声)おぅ、何か、微かに海の匂いがするぜ。(99年1月17日横浜アリーナにて)

壁を見つけて超えていく……。人ってのは乗り越えることでしか成長できねぇんだ。 お前の理屈は間違っちゃいない。乗り越えるべき壁が俺だと言うのなら、付き合ってやる。二度と乗り越えようとすら思えない力の差――一度だけ味あわせてやる

ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。

(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います

人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する

不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない

他人のためにやるんじゃないよ。自分がやりたいからやるんだ。

無茶苦茶だよ。熱だけしかなくてさ、意味はないんだよ。

仕事じゃなくてもやるもんね!

みなしごハッチ。(RUSH BALL☆P@なんばHatchにて)

何かと比べて自分は優れてるっていうんじゃなくて、俺にしか書けねぇ曲があるんだって言えなきゃお金取っちゃダメでしょ。伝えられないでしょ。だから今だってずっと言ってるじゃないですか。僕らは僕らの曲を愛してるって…。

ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ

期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る

早く大人になりたいとか、まだ子供だとか。違うんじゃないか?俺は俺なんだ。藤原基央なんだ。俺はもっと良い藤原基央になれるように頑張るんだ

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。

教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している

昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。

今まであんなにときめいてきて、あんなに翻弄されて、電話のなかに彼がいると思って電話をずっと見てた、ああいう時間は何だったんだというぐらい、まったく次元の違う大事なものができてしまう瞬間があるんですよね

死ぬと分かってて戦うのが一人前の男って訳じゃない。男なら命を張る場面はきっと来る。お前にその時が来たら、思いきりやればいい。

絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ

絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。

お金なかったのでお母さんのお兄ちゃんにトラック運転してもらってトラックで上京した

本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ

ロックであるとかないとか言ってるアンタが一番ロックじゃねえんだよ

本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される

最終日だからって、特別なことはありません。最終日が特別なんじゃないんだよ。ロックンロールが特別なんだよ

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない

日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)

限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

数千のアイデアを育てて、やっと一つの成果を得ることが出来る

世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい

どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?

生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう

「五稜郭ジャンキーズ! 」「みんな、牛好きかー?!ジンギスカーン!」(札幌ライブにて)

プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要

音楽やる上では、リアクションしかない。だからパッて出したものに対して、リアクションする。その繰り返しで、完成できる。

私は努力をしてこなかった人間。ただ努力をしなかった分、自分の好きなものに囲まれて生きることはできたというか

好きなものは変わらなんなあ。歳をとるほど、より確信になる

低気圧が僕を責め立てる。
