


今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事

人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない

今の音楽の置かれてる状況の事とか、悲しくなっちゃう所がありますよね。パソコンで150円で買えるとか、若い頃の自分にとって凄い高かった、3000円とか2800円っていう感覚、その感じがもう無いっていうのは、なんかちょっと悲しいですね。

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

真実のほかに美はない

生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである

じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ

私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。

結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。

学ぶことは何もないの。楽しむだけでいいんだ

大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで

俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。

I do not want the peace which passeth understanding, I want the understanding which bringeth peace.
私は理解を超えた平穏を求めているのではありません。むしろ、平穏をもたらす理解を求めています。

上手い歌なんか歌いたくないんだよな。いくらでもいるし。

チャンスは鳥のようなものだ。飛び去らないうちに捕らえよ

確実にたくさんの曲を作り続けていくには、気分の波に流されてはいけない

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

第一番に稚心を去らねばならぬ

信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ

You may say I’m a dreamer, but I’m not the only one. I hope someday you’ll join us, and the world will be as one.
僕のことを夢想家だと言うだろう、でも僕は一人じゃない。いつか君も仲間になって、世界はきっとひとつになるんだ。

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

傑作なのか屑なのかわからない

学問は、ある人にとっては神々しい女神であり、他の人にとってはバターをくれる有能な牝牛である

明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。

今までの後悔とか、辛かった事とか、選択も全て間違いじゃなかった

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

優しくなりたいと思う人は、優しいんだと思います。

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

長く生きてるほうが絶対おもしろいよ

Count your age by friends, not years. Count your life by smiles, not tears.
年ではなく友人で年齢を数え、涙ではなく笑顔で人生を数えようよ。

何があっても、賛成反対両方あるのは自然

作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

一人ひとりと7万回握手がしたいです。

俺は東城会四代目桐生一馬だ!!

「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない

人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ

チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである

感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ

いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分

癌もロックンロールだ。

幸せのまんま放っておいてほしい

マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ

生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である

「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)

簡単なことを完璧にやる忍耐力の持ち主だけが、いつも困難なことを軽々とこなす熟練を身につける

秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ

皆ね、知らず知らずのうちに、はじき出したビー玉持ってると思いますよ。その存在がおそらく誰にでもあると思いますよ。だから場所をとってるわけですよね、僕らはね。

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。

体力的な無理はできるけど、精神的な無理は良くない

どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ

自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

色々不安だろ?なあ、イライラするしなあ。それなあ、大人になっても不安だし、50過ぎてもイライラするから、そのまんまでいいんじゃないすか。物事解決するよりも、イライラしたまんまさあ、ロック聴きゃあいいじゃん。うん。

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である

以前にも成功をおさめたからといって、今度も以前と同様の仕事のやり方をし続ける経営者というものは必然的に失敗する運命にある

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。

最後は直感なのだ

俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!

傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ

芸術は何かっていうと、抑制だよね

聴くのをサボんなよ。俺歌うから

何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな

ガキンチョだますのがロックだと思う

凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。

フッ…… まったく不謹慎やのお〜……お前ら、最高やで!

偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに

曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主

今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ

絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている

創造の最大の敵は「良い」センスだ

なんとなく楽しくいたい。それがゴールでしょ?そのゴールを目指していくために、いろいろやらなきゃいけないことがあってさ。その為には寝ないで頑張ることもあってさ。血ヘド吐くくらい頑張ることもある。いいことじゃん。だって目的に向かってがんばる手段として「金も必要、じゃ働くか」とかさ。

何処に居ても俺らの唄声とか届いてると思うし。

ぼくはいつでも、一生懸命歌を作ってるんだよ。才能があるから歌が出来ると思ってるのかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ。

周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。

画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。

真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう

日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)

幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けること

We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。