結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。
生きてる人間が『生きてる』っていう事を証明する為に言葉とか色々方法があるんだとしたら、そのいくつもある方法の中から音楽を選んだヤツらが集まっているのがこのバンドだと思う。
So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。
風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである
Half of what I say is meaningless, but I say it just to reach you.
僕の言うことの半分は意味もない。ただ君に聞いて欲しくて話しているんだ。
俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。
In the end, the love you take is equal to the love you make.
結局、あなたが得る愛は、あなたが与える愛の量に等しい。
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
平等は人道の神聖な法則である
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る
津波が来ます。(酒に酔いながらのラヂヲで地震が来たとき勝手に)
孤独の中では何もできることはない
仕事じゃなくてもやるもんね!
大好きなものと付き合っていくことだよ
いかなる革命も、3日目から堕落が始まる
曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です
意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。
「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる
数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。
眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です
自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい
誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い
美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ
何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである
何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。
ひらめくまで待つ
人間一人ひとりを見ると、みんな利口で分別ありげだが、集団をなせばたちまち馬鹿が出てくる
As usual, there is a great woman behind every idiot.
いつだってバカを支えているのは偉大な女性だ。
犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか
今日はジョン・レノンの命日。家に帰ってイマジンを聴く
上手であることはそんなにいいことか?とも思う
傑作なのか屑なのかわからない
なんでもいいから、まずやってみる
俺は最近認めてるよ。自分のなかのリベンジを
(音楽にスーパースターは必要?という質問に対し)自分がなればいいんじゃないッスか、自分にとってね。そう思えないヤツはずっと誰かの真似になっちゃうんじゃないかな。
そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
群馬の一匹狼の皆さんこんにちは!これからも一人で頑張って生きて行って下さい! (群馬ライブにて)
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ
「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って
私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ
真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ
トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる
若くなるには時間がかかる
革命家になろうとも思わないし、政治家にも宗教家になろうとも思わないけどさ、同じ事考えてる人いっぱい居るんだなと思ったら安心するじゃん。で、その記憶が俺を支えるしみんなの事も支えてくれるんだったら、やった意味はあるよね
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない
現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている
いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います
自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく
作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ
マラソンランナーと一緒で、長距離を走り抜くにはペースを崩さないこと
僕はいろいろなとこでいろいろな人に聞かれるんだよ。『楽しけりゃいいのか?』って。いいんだよ。そのかわり,楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。
頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!
有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い
芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか
やっぱり音楽は大好きなことで、他に代わりがないから緊張するんですよ。今日のライブがダメでも、他でがんばればいいやとか、そういうもんじゃないから。
建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。
明日のための今日じゃありません。今日のための今日です
覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである
みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね
子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね
素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する
自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない
さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき
汝が死ぬ前日に懺悔せよ
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ
純粋に泣けてしまうことって本当にある
同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない
普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります
人間の運命は人間の手中にある
なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー
The most pathetic person in the world is someone who has sight, but has no vision.
世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人です。
僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない
中学時代はラジオが好きで、「オールナイトニッポン」をよく聞いていました
あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない
芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない
Prime Minister: Whenever I get gloomy with the state of the world, I think about the arrivals gate at Heathrow Airport. General opinion’s starting to make out that we live in a world of hatred and greed, but I don’t see that. It seems to me that love is everywhere. Often, it’s not particularly dignified or newsworthy, but it’s always there – fathers and sons, mothers and daughters, husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends. When the planes hit the Twin Towers, as far as I know, none of the phone calls from the people on board were messages of hate or revenge – they were all messages of love. If you look for it, I’ve got a sneaky feeling you’ll find that love actually is all around.
デイヴィッド「私は世界のことを考えて落ち込むと、ヒースロー空港の到着ゲートのことを考える。有識者は、世界が憎しみや強欲で満ちているというけれど、私はそうは思わない。愛があちこちに存在していると思う。神々しいわけでも、ニュース性があるわけでもないが、愛はいつもそこにある。父と子、母と娘、夫と妻、彼氏と彼女、旧友。飛行機がツインタワーに突入したときでさえ、私の知る限りは誰も憎しみや復讐に満ちたメッセージを電話で送ったりはしなかった。それは愛のメッセージだった。見つけたかったら、探そうとしなくても、実は愛はいたるところで見つけられる」
Love is like a beautiful flower which I may not touch, but whose fragrance makes the garden a place of delight just the same.
愛は美しい花のようなもの。それに触れることはないかもしれないけれど、その香りは花と同じように庭を喜びの場所にしてくれます。