


現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである

何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない

基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する

全てのものは限られた量しかない。特に幸福は

何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。

口先だけじゃ海を越えられないのさ

お前自身を知ろうとするならば、いかに他の人々が行動するかを観察せよ。お前が他の人々を理解しようとするならば、お前自身の心を見よ

最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということ

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)

ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる

夢や希望なんてバカバカしい。でもそれを見続けてしまうのが人間であって。それが悲しくもあり、美しくもあるんだってことを俺は知ってる。

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

文明とは、麻痺状態のことだ

時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。それなのに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を重要ではないもののように扱う。

先に見出し、後に捜し求めよ

本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど

電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む

僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに

人に善をなせば、とがめられるものだ

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

何も考えないで、何も判断しないことが、一番の罪だと思う

俺は錦みてえにはなれねえよ

10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事

ウィンターってウィンターって意味じゃないらしいよ。(The Birthdayの神戸ウィンターランドでのライブにて)

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

明日描く絵が、一番すばらしい

創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

僕がどうしてもそこから逃げられないぐらいに取り憑かれてるものっていうのはロックンロールに秘められた把握できない未知の価値観なんだよ。

重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである

集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。いくつかの理由はすでに明らかである。貢献を行うための時間よりも、行わなければならない貢献の方が多いからである

私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった

自分は燃え尽きることは一生ない

(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)

いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

幸福には翼がある。つないでおくことは難しい

僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。

何があっても、賛成反対両方あるのは自然。

天才になるには天才のふりをすればいい

盗作は情けない

学ぶという事は一生続く、変化に遅れないようについていくためのプロセスだという事実を、私たちは今では受け入れている。そして、最も緊急な課題は人々に学び方を教えることである

俺は東城会四代目桐生一馬だ!!

この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ

ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)

俺には夢があるんだ!それは、この世界中から戦争が無くなること、それが俺の夢です!

Keep your face to the sunshine and you cannot see a shadow.
顔を太陽の方に向けていなさい。そうすれば影が見えないから。

リンゴひとつでパリを征服する

「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ

これからは自分の為に歌おうと思います。 俺が俺であることを好きでいるとその日はすげぇー楽しいのね。でも俺が俺であることが嫌になってしまうと、その日1日もぅ何もかもが駄目なわけ。俺はかっこよく生きたいです

自殺はやめろ。生きろ。

今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる

作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね

アバウトは健康にいい

私は最初、写真っていうのは、機械が撮るもんだから誰が撮っても一緒。だから絵とは違うなって思っていたんですけど、そうじゃないんですね。写真って、あなどれないなと思いました

幸せのまんま放っておいてほしい

これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。

自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ

俺がとりたいのは100点じゃないんだ。ロックンロールが100点満点だとしたら10000点くらい取りたいんだ。

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ

業績を上げる最大のカギは責任感である。権威や権限ではない

惚れたはれたの世界じゃなくて、もっと性別を超越したもの、生命を見つめるようなものーそういう温度にまで、お客さんの器を大きく広げてさしあげることができたらいいと思ったんですよね

寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人間は、幸福である

せやけど俺は……何があっても親父の子ですわ

それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!

仕事は点ではなく線だ

小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました

昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

画家は労働者が働くように勉強しなければならない

自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる

明日のための今日ではなく、今日のための今日ですよ

いつからこの国はこんなにもセコイ人間の集まりになってしまったんだ。

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない

人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない

モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ

私は天才を自覚している

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ

判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄

傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ

今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました
