


自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである

建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。

日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)

絶対仲良くなれない奴いるよね? 俺超友達少ないもん。でも音楽の上ではこんなに愛し合えるんだよ。実際の世界よりも僕は好きだから、ライブの空間と音楽の空間が。

傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ

ルソーの「ラブレターを書く時は、何を書きたいか何も考えずに書き始めて、それが思い浮かぶ前に書き終えろ」っていう言葉があって。

歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの

周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?

(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している

私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ

かっちょよく死ぬ瞬間を逃してしまったんだよ。俺たち人類はもうさ生きのびちゃったんだからさ。もうかっこよく終われないんだよ。人類は。だからかっこよく終われないんだから終わらせないようにしようぜって思うんだよ

ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。

老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える

成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない

市場において目指すべき地位は、最大ではなく、最適である

低気圧が僕を責め立てる。

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの

もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ

生まれる前からあなたの側にいた曲です

何もすることがないから明るく引きこもってるんだ。でも結構楽しいです

型にはハマらずにいたい

世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?

長く生きてるほうが絶対おもしろいよ

曲のメロディはもちろん大事ですが、大きな構造で考えるとスコアは設計図みたいなもの

A dream you dream alone is only a dream. A dream you dream together is reality.
一人で見る夢は、ただの夢。みんなで見る夢は現実になる。

彫刻に独創はいらない。生命がいる

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

手には、物を掴む手と放す手がある

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

夢を語る奴のことをバカにしたことはない、そういう奴の為にグングニルって曲が出てきたりします。俺は決して笑わないって歌。そして俺もそういうことをしすぎて目が悪くなりました。夢の見過ぎで悪くなりました。そういう歌も歌ったことがある。でも結局のとこドリーマーです。永遠のドリーマーです。

見放さなければ、失うということもありません

過去のバンドの名前や音楽を具体的に挙げて、こういうふうにしようと話し合ったことはない。やりたいときに、やりたいことを、やりたいようにやる。そんな自由さを失わずにいこう、みたいなことは話したけど。

人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

「僕は永遠に生きます」って今思ってる。明日も思ってる。あさっても思ってる。10年後も思ってる。20年後も思ってる。そしてある日死ぬんだ。うん。それがいいな。

死ぬと分かってて戦うのが一人前の男って訳じゃない。男なら命を張る場面はきっと来る。お前にその時が来たら、思いきりやればいい。

いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います

自殺はやめろ。生きろ。

基本的に全てのキャラクターは、レベル99まで上げます(※自身が無類のゲーム好き)

この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない

私は天才を自覚している

急成長会社では無能な者が要職にいる。会社の成長についていけなかった人々である

極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。

夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き。

お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか

私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。

”世界”というのは自分の中にあるんです

未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである

俺には夢があるんだ!それは、この世界中から戦争が無くなること、それが俺の夢です!

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

すべてはむなしい

第一番に稚心を去らねばならぬ

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

他者同士だからさ、分かりあえなくて当然

死を怖れない者に何を怖れろというのだ

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!

「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う

20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。

(曲を)作ること自体が究極のセラピー

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている

ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない

お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!

仕事はまず核心をつく、一番大事なところからやるようにしている
