


手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!

「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)

若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ

フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。なんでなんだ?っていつも子供みたいに感じていたいぜ

先に見出し、後に捜し求めよ

毎回が真剣勝負

お前らがライヴを見ている瞬間は、甲本ヒロト、そしてブルーハーツってバンドはこの宇宙のどこをくまなく探しても、お前らの目の前にしかおらんのじゃ。

僕はいろいろなとこでいろいろな人に聞かれるんだよ。『楽しけりゃいいのか?』って。いいんだよ。そのかわり,楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。

オレは糞っタレのダメ人間!お前ら、オレみたいになんなよ!…でもさ、お前らがいるからこんなオレでもここに立てた。今のオレにはもう歌うしかねぇ、だからお前ら、オレにもう少し付きあってくれ

映画を観てる時もご飯食べてる時も漫画読んでる時も友達と喋ってる時も、なんにもしていない時なんて特に、いつもいつも音楽のことを考えてる

座って弾き語りやってても激しいなあこの音楽って思う時もある。だけど逆にフルボリュームでアンプ鳴らしてガーって大暴れしてるのに何も感じない時がある。それはもしかしたら内面が伝わってるんじゃないかと思うんですよ。

「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。

楽しいと思った瞬間、そこがゴール

人は見た目で判断する、そんなもんだ

目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・

自分が作った曲をいっぱい聴いてもらえたり楽しく歌ってもらえるんが1番嬉しい。難しいこととか考えたくない!作るのが楽しい、歌うのが楽しい、誰かのの思い出になれる事が嬉しい

もともと変わった曲にしようとしていたわけじゃなくて、自然に出来たんで。まぁ、奇跡って言い方はおかしいですけど、偶然的にあのような曲になったっていうところも大きいんですよね(『サイレン』について)

どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど

時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!

小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった

最強頑張っている人を見ると泣きそうになる。かっこよくて。俺もああなりたい

私は捜し求めない。見出すのだ

やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ

結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。

ステージに出る前、死刑台に上がってく気分になるときがあるんだ。ギロチンの下に頭を置いて審判が下される。

他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。

People do not like to think. If one thinks, one must reach conclusions. Conclusions are not always pleasant.
人々は考えることを好みません、もし考えれば、結論に到達しないといけないから。結論はいつも心地よいとは限らないのです。

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる

詩人は常に真実を語る嘘つきである

俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!

Keep your face to the sunshine and you cannot see a shadow.
顔を太陽の方に向けていなさい。そうすれば影が見えないから。

画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう

私、雑音がほしくて。綺麗なノイズのない環境が嫌

過去のバンドの名前や音楽を具体的に挙げて、こういうふうにしようと話し合ったことはない。やりたいときに、やりたいことを、やりたいようにやる。そんな自由さを失わずにいこう、みたいなことは話したけど。

負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない

(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね

予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う

イライラや不満を、ただ我慢することなんだよ。いつか来るための大切なエネルギーだから

Everything has its wonders, even darkness and silence, and I learn, whatever state I may be in, therein to be content.
すべてには驚くべきものがあります、暗闇や静寂にさえも。そして私はどんな状態にあっても満足して、学びます。

声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った

ロックンロールは続いていくんだよ

僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。

僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

この街は牢獄や……。俺が塀の外に出られんのは いつなんやろな兄弟……

大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ

何事もそうだが、中途半端な決断で道を選ぶと、途中で大変な試練があったときに気持ちが挫けやすい

生きているうちに天才って言われたい

監督の意向に従うことは大事だが、望んでいる通りのものを書いていたのではいけない

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

急成長会社では無能な者が要職にいる。会社の成長についていけなかった人々である

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

やり方を学ぶ

Life is very short and there’s no time for fussing and fighting, my friends.
人生は本当に短い。空騒ぎしたり、争ったりする暇なんてないんだ。

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない

人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる

大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く

明日のための今日じゃありません。今日のための今日です

自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

僕らは全然清く正しくない だからってコソコソはしたくない コントロールできないことなんて山ほどあるよ 笑顔だけは失くさないでくれ たとえ誰かに罵られてもさ 僕はそういうとこが好きなんだ そいつらに中指立ててあんたらみたいにはならないよって言ってやろうぜ

人に善をなせば、とがめられるものだ

書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい

あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である

プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要

ガキンチョだますのがロックだと思う

曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない

広島も付き合い長いな。しかし、付き合い長いとなんか感情が湧いてくるよな。こういうの、何ていうんだ?……憎しみ? (広島ライブにて)

自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと

それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』

他人のためにやるんじゃないよ。自分がやりたいからやるんだ。

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです

素晴らしい夢ほど笑われるものです。 もし、他人に自分の夢を笑われたら「あぁ、自分の夢は素晴らしいんだ」っと誇ってください。

経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う

お前らが死んでも音楽は何万年も続いていくんだよ

余り考え過ごす者は何事をも成し得ない
