今の音楽の置かれてる状況の事とか、悲しくなっちゃう所がありますよね。パソコンで150円で買えるとか、若い頃の自分にとって凄い高かった、3000円とか2800円っていう感覚、その感じがもう無いっていうのは、なんかちょっと悲しいですね。
我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである
歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)
お前らがライヴを見ている瞬間は、甲本ヒロト、そしてブルーハーツってバンドはこの宇宙のどこをくまなく探しても、お前らの目の前にしかおらんのじゃ。
久しぶりー、前橋!……ごめん間違えた宇都宮!(栃木ライブにて)
芸術は何かっていうと、抑制だよね
「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う
世界史は世界審判である
この世には、何一つ決まってることなんてないんだよ。 ただ、そう思いこんでるだけ。
なんばHatch?…へんななまえ。(06年THE BIRTHDAYライブにて。ちなみにこの日、まともなMCはこの一言のみ)
じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ
運命に耐えているとき、そこに真理が見える
Our life is our art.
人生はアートだ。
学ぶという事は一生続く、変化に遅れないようについていくためのプロセスだという事実を、私たちは今では受け入れている。そして、最も緊急な課題は人々に学び方を教えることである
目立たないように目立たないように、さりげなくさりげなく自分の存在を消し続けた(高校)三年間
100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりもするし、言葉や感情は、削れば削るほど尖っていったり伝わりやすくなったり。自由自在の怖さ!
大金を持った貧しい人のように暮らしたい
恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない
思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ
学問は、ある人にとっては神々しい女神であり、他の人にとってはバターをくれる有能な牝牛である
美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ
兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。
私は仕事をしているとくつろげる。何もしていなかったり、訪問客の相手をしていたりすると疲れる
人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う
「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って
「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ
他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ
ヘルマン・ヘッセも書いている。ユーモアが大切なんだ。ユーモアのわからない人間が戦争を始めるんだってね。
これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。
詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ
痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る
いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない
親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい
人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い
客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ
人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する
不幸はなにも生まないね。不幸とか苦労とかは人をどんどんダメにする。苦労話とかする奴は「俺はこんなにだめなんだぜ!」って言って今まで何をしてきたかをひけらす人でしょ。ひけらかして自分の価値を認めさせようとするわけだ。そんなのは最低だ。
自分を支えているのは、自分
俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね
音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです
10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。
人は素敵な経験があるか無いかで、心の汚れが全然変わってくる
傲(おご)ってはいけません。企業は、社会によって存在させてもらっている存在なのです
「やさしくなりたい」という意思、それはすごく大切だなと思う
We’re not disinterested in politics. It’s just that politicians are disinteresting.
僕らは政治に無関心なわけじゃない。ただ政治家がつまらないだけだよ。
偽物が本物に変身する瞬間がある
こんなに色んな人が関わりあうのは、俺、音楽しかねぇと思うんだ。てか、音楽しかしらねぇ
監督の意向に従うことは大事だが、望んでいる通りのものを書いていたのではいけない
今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから
自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。
いかなる革命も、3日目から堕落が始まる
神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ
偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに
俺らはハリウッドスターほど会えない人達ではない。現に俺らは曲で君達のそばにいるから
人の評価なんかどうでもいいし
見放さなければ、失うということもありません
焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う
ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している
神童などという言葉は、家族のつくったものだ
どうしたって笑えないけど、それでも笑わないといけない時かぁー。…泣いちゃえばいいんじゃないか
美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね
もう俺は、相手がお客さんであろうが、メンバーであろうが、友人であろうが、音楽でしかきっと何も伝えられない。
そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ
『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね
詩人は常に真実を語る嘘つきである
何だって自分次第なんだわ。んなもん、当たり前だよな。お前がクソなら、世の中はクソだよ。
いつだって、今やるのが一番いい
自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている
恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる
生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。
失敗することを恐れず、とりあえず何となくやりたい事をやってみたら?
最終日だからって、特別なことはありません。最終日が特別なんじゃないんだよ。ロックンロールが特別なんだよ
最も重要なことから始めなさい
『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった
だって欲しいから手に入れるんだし、好きだから抱きしめるんだよ。もったいないからとっとこう、ってのはちがう。その時点でそれはゴミなんだ。
変わるっていうのはそんな大きな話じゃなくて。今日の夜から、母ちゃんにありがとうって言ってみるとか、言えなかったひと言を言ってみるとか…。100年後、ここにいる全員がいないから、たぶんね。それぐらいあっという間のことなんだよ。
綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ
あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない
今までの後悔とか、辛かった事とか、選択も全て間違いじゃなかった
選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである
否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。
We could never learn to be brave and patient, if there were only joy in the world.
もしもこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。