


経営者がかならず身につけておかなければいけない、大事な要素がひとつだけある。それは品性である

偽物が本物に変身する瞬間がある

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?

常に恥とは何かを知り、人に負けない様に強い気を持ち、どんなときでも権力に盲従してはならない

一人ひとりと7万回握手がしたいです。

自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ

ツアー中、ステージからみえたお客さんの顔。知ってる人もいた。知らない人もいた。ひょっとしたら また会えるのかな

自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである

生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である

どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。

素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である

生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。

その瞬間に爆発していればカッコいい

「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)

夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き

あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな

全生命が瞬間に開ききること。それが爆発だ

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

自殺はやめろ。生きろ。

何があっても、賛成反対両方あるのは自然。

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

映画を観てる時もご飯食べてる時も漫画読んでる時も友達と喋ってる時も、なんにもしていない時なんて特に、いつもいつも音楽のことを考えてる

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している

オルタナをやり始めた時は、「暗い」「分かりにくい」という声があって、若干構えてしまったんです。力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。すごく文字にしづらいかもしれないけど、スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか

盗作は情けない

ロックの基本は愛と平和だ。

歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。

ミュージシャンなんて死ぬほどいっぱいいるじゃないですか。そんな中で俺らの曲を見つけてくれてね、自分が求めてるものがあるってなんとなく感じて、その中から探そうって思ったその感覚がまずその人の才能であり、努力だったんじゃねぇかな。

「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう

絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない

(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?

生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって

そりゃあもちろん世の中のいろんな出来事を知らないわけじゃないけど、俺たちがやりたいのは楽しくバンドをやりたいということだけ…それを手段として何か目的を達成したいと思ったことはないんで。それでも二次的なものとしてみんなの明日の朝メシがうまくなるんだったら、それより最高なことはないですよ

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している

火の国熊本、暑さにゃかなわねぇ!!(熊本ライブにて)

オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです

曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です

上手にするってことなんか必要じゃなくて、熱くなればいいんだよね。

「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。

勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな

俺、ホント、意味ねえと思うもん人生なんて。「人は何のために生まれてきたのか、何をすべきかなのか」なんて、どうでもいいじゃん。そんなの誰にも決められないことじゃん。自分で決めるんでしょ、人生の価値ってのは。本当に自分が素晴らしいと思うことに一生を費やすこと、それがいちばん価値があること。

ここ何県?(ロサンゼルスにて)

夢を飼い殺しちゃいけない。

仕事は点ではなく線だ

津波が来ます。(酒に酔いながらのラヂヲで地震が来たとき勝手に)

自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。

The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched – they must be felt with the heart.
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは見たり触ったりすることはできない。

自分の個性に 自信を持てよ。そうすりゃあ自分好きになれる。姿形よりも 自分って人間を。磨いて輝る 美しさを

顔に性格が表れるように、声には人生が現れる。言葉でどうこうするより、何万時間語り合うより、一曲でいいから自分の書いた歌を聴いてもらえば分かりあえる気がしちゃうんだよな

方向性に迷った時は僕は初めのイメージに立ち返る

自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやってます

自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない

どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?

絵画というのは手で作った写真だ

”世界”というのは自分の中にあるんです

完璧な青写真なるものは、二重に人を欺く。それは、問題を解決できないだけでなく、問題を隠すことによって、本当の解決を難しくする

今俺らがうたってる最中に向こうの方横切ってトイレ行ったりしてる奴ら、そいつらもここ(最前列)にいつか来させてやる。全員ギャフンと言わせてやる

より良くならなくていいんだよ。俺たち最高なんだから。

ガキンチョだますのがロックだと思う

芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか
