


人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。

生きているうちに天才って言われたい

女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

一人ひとりと7万回握手がしたいです。

最後は直感なのだ

他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする

判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである

壁は自分自身だ

”世界”というのは自分の中にあるんです

曲のメロディはもちろん大事ですが、大きな構造で考えるとスコアは設計図みたいなもの

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う

今真剣なんだ。邪魔するな!

I do not want the peace which passeth understanding, I want the understanding which bringeth peace.
私は理解を超えた平穏を求めているのではありません。むしろ、平穏をもたらす理解を求めています。

自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした

成し遂げたいことに必要な条件を、明確に把握すればするほど、達成される確率は高まっていく

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した

低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける

人間が生きる限り、死人も生きているんだ

わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る

この余白にたくさんの文字を書いたけど、沢山消した。俺の喉から貴方の耳まで新しい唄がお使いに行く。俺の唄は迷わないから、俺も心配しない。いってらっしゃい。

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる

んだ。学びは終わらない。んだ。

芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ

人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

会いたいって言った方が負けみたいなとこある気がする。男女

『自分にはなにもない』って言う人いるけど、そんなことない。コンビニの店員がいなかったら、お弁当あっためてもらえない、銭湯のおばちゃんがいなかったら、銭湯入れない。みんなやることやってる。それを誇りに持てよ!

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

結局はひたすら考えるしかないという心境になっている

自分の人間力なんて分からないし、そこで勝負しようなんて思ってないんだよね

We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。

僕がどうしてもそこから逃げられないぐらいに取り憑かれてるものっていうのはロックンロールに秘められた把握できない未知の価値観なんだよ。

生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである

その言葉の持ってるリズム感、そういうことの方が全然大事なんだよね、ヴォーカリストには。言葉1個1個のリズムね

いいよ。行っちまえよ。何処へでも。何処にでも届くように唄ってるからさ。

お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む

「五稜郭ジャンキーズ! 」「みんな、牛好きかー?!ジンギスカーン!」(札幌ライブにて)

ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない

生まれる前からあなたの側にいた曲です

経験も知識も上手く活かせないと意味がない。 自分を狭めてしまうような経験だったら、豊富にならない方がいい

ひらめきも何も考えていないという事ではなく、必死に悩んで考え、自分を追い込んだ結果として、ぽっと生まれるもの

会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ

誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか

何、ちょうど打ちたかったところだ・・・・ひねくれたカーブをな

Billy Mack: This is shit, isn’t it?Joe: Yep, solid gold shit, maestro.
ビリー「こいつはクソだな」
ジョー「そうだな。だが金のクソだぞ」

自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである

どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも

正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

(ビートルズの音楽は)8:2くらいの割合で、暗いところか隠されているところが好き

(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?

傲(おご)ってはいけません。企業は、社会によって存在させてもらっている存在なのです

僕は一貫して自己満足です、めざすものは

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、結構すごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね

人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ

神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである

なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。
