大リーグで活躍したいと思うことは夢じゃないんだよ。野球をやりたいというのが夢だ。
日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ
予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う
歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)
自分には才能がないって思っていたんですけど、今は自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやっています。
誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう
自分が作った曲をいっぱい聴いてもらえたり楽しく歌ってもらえるんが1番嬉しい。難しいこととか考えたくない!作るのが楽しい、歌うのが楽しい、誰かのの思い出になれる事が嬉しい
意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!
俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!
俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)
いいよ。行っちまえよ。何処へでも。何処にでも届くように唄ってるからさ。
この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか。
誰のようにもなりたくない
痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る
そりゃあもちろん世の中のいろんな出来事を知らないわけじゃないけど、俺たちがやりたいのは楽しくバンドをやりたいということだけ…それを手段として何か目的を達成したいと思ったことはないんで。それでも二次的なものとしてみんなの明日の朝メシがうまくなるんだったら、それより最高なことはないですよ
恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある
座って弾き語りやってても激しいなあこの音楽って思う時もある。だけど逆にフルボリュームでアンプ鳴らしてガーって大暴れしてるのに何も感じない時がある。それはもしかしたら内面が伝わってるんじゃないかと思うんですよ。
何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている
運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか
心に鍵をかけてるひと。かけすぎて人と話すのが苦手になったりしてる人。自殺をしようとした事がある人。俺はそのままでもいいと思うよ。かっこ良いと思うよ。でもどうか生き延びてください
10年かかってもまだわかんねぇのか?お前らが俺らを必要としてるんじゃない。俺らがお前らを必要としてるんだ
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
俺らがなんでロックやってっかというと、ロックはさ、汚ねぇ言葉とかすっげぇ使ってるよ。それが受け入れれない奴は、まだロックなんて必要ねぇんだよ。でも、絶対なんか壁にぶちあたった時、ロックを聞くとさ、こんな汚ねぇこと考えてるの俺だけじゃねぇんだって思えるからさ。だから、俺らはおまえらのためだけにロックをやるよ
どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。
私は天才を自覚している
音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る
今俺らがうたってる最中に向こうの方横切ってトイレ行ったりしてる奴ら、そいつらもここ(最前列)にいつか来させてやる。全員ギャフンと言わせてやる
高い金払ってチケット買って見に来てくれてんだろ? 50分だけで良いから何もかも忘れろ! どうせ最後は全員くたばるんだから怖い物なんかねぇだろ
君を見つけ出した時の感情が、今も骨の髄まで動かしてんだ
僕はいろいろなとこでいろいろな人に聞かれるんだよ。『楽しけりゃいいのか?』って。いいんだよ。そのかわり,楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。
普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう
凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです
たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、お前ら、覚悟決めろよ
新しい事業をつくり出すときは、大きなビジョンである必要はない。しかし、今日の常識とは違うものでなければならない
We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections.
僕らは、自らのすばらしさと不完全さのなかで、何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。
銀杏BOYZ聴いてるつってよ、そのよ、会社の中でそんなのがバレてしまったらよ、「うぇ、アイツ銀杏BOYZ聴いてんの?」なんて差別されるような音楽を俺は作っていきたいワケ
作曲家の基本命題は「いい曲をつくる」こと
彫刻は、凹凸の術である
上手であることはそんなにいいことか?とも思う
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない
10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。
ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない
とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ
Jesus was all right, but his disciples were thick and ordinary. It’s them twisting it that ruins it for me.
イエスは悪くない奴だったけど、弟子たちは鈍かったし普通だった。彼らがイエスを歪めたことが、僕は残念だよ。
人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!
好きなものを作る、それだけをやるってなるとブレない
すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです
いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい
世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない
どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
人は素敵な経験があるか無いかで、心の汚れが全然変わってくる
人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる
弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます
Keep your face to the sunshine and you cannot see a shadow.
顔を太陽の方に向けていなさい。そうすれば影が見えないから。
我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である
ひらめきも何も考えていないという事ではなく、必死に悩んで考え、自分を追い込んだ結果として、ぽっと生まれるもの
反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。
火の国熊本、暑さにゃかなわねぇ!!(熊本ライブにて)
フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ
女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです
エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!
絵画というのは手で作った写真だ
We’re not disinterested in politics. It’s just that politicians are disinteresting.
僕らは政治に無関心なわけじゃない。ただ政治家がつまらないだけだよ。
(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので
アホくさ。喧嘩すんのは結構やが、もしウチのシマに入ってきたら・・・そん時は怪我するだけじゃすまへんで。
心が揺れたところで決着はもうついてんだ
シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ
自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。
幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である
基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する
俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。
7年後のことより、7秒後の話をしよう。
リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない
成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、最も欠乏した資源である。それが時間である
空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。
多少体調が悪くても、気分が優れなくてもベースは崩さないように努める
ライブで観たときのダイナミクスってすごいでしょう。そのための技術を磨いておきたいと思いながらやってきたけれども、ライブってそれだけじゃ足りなくなる瞬間があって。そのときに引っ張り出されてきているのが人間力みたいなものなのかもしれないけれど、あまりそこに頼りたくないと思いつつ、歌っているだけですごいと言われるような歌い手になりたいというのはずっとあるんだよね
自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと
人の評価なんかどうでもいいし
昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。
真理に年齢はない
私は自分がやりたいことをやっているだけ
(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)
なんか人見知りですって自分で言う人いるじゃないですか。それってめっちゃよくないなって思ってて、すごい自分から人を引き離してるの良くないなって思って。
考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく
まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです
Trying to please everybody is impossible – if you did that, you’d end up in the middle with nobody liking you. You’ve just got to make the decision about what you think is your best, and do it.
みんなを喜ばせようなんて不可能だよ。そうしたところで、結果は誰からも好かれないで終わるだけさ。