間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる
何があっても、賛成反対両方あるのは自然
あたしロマン派だから。猫の名前もゲーテとシューマンだし。
私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。
銀杏BOYZ聴いてるつってよ、そのよ、会社の中でそんなのがバレてしまったらよ、「うぇ、アイツ銀杏BOYZ聴いてんの?」なんて差別されるような音楽を俺は作っていきたいワケ
挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない
その日、歩ける一歩を歩くだけ
誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い
ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している
人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。
人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ
楽曲を作ることの方が楽しい。それをいつ本業にできるかって最初から思ってた。
数千のアイデアを育てて、やっと一つの成果を得ることが出来る
他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない
「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って
久しぶりー、前橋!……ごめん間違えた宇都宮!(栃木ライブにて)
何が伝わってほしいって言ってさ、いろんなメッセージとか、いろんなことを訊かれるんだけど、何もないんだよ。みんなが楽しくなってくれたら、もうそれで僕たちがやりたいことは100%成し遂げられてるんだ
余り考え過ごす者は何事をも成し得ない
偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか
生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である
Life is either a great adventure or nothing.
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。
僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
We could never learn to be brave and patient, if there were only joy in the world.
もしもこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。
これからは自分の為に歌おうと思います。 俺が俺であることを好きでいるとその日はすげぇー楽しいのね。でも俺が俺であることが嫌になってしまうと、その日1日もぅ何もかもが駄目なわけ。俺はかっこよく生きたいです
私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!
他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ
人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する
夢を語る奴のことをバカにしたことはない、そういう奴の為にグングニルって曲が出てきたりします。俺は決して笑わないって歌。そして俺もそういうことをしすぎて目が悪くなりました。夢の見過ぎで悪くなりました。そういう歌も歌ったことがある。でも結局のとこドリーマーです。永遠のドリーマーです。
事業を行うときは、次の4つの条件を満たしておかなければならない。まず経営環境、使命、強みが現実と一致していること。そして、それらの条件が互いに合致していること。そして、周知徹底されなければならない。さらに、たえず検証されなければならない
自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。
青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ
で、みんなが「そうやるべき」だなんてことは全然ない。好きにすればいい。俺はどうするかは、俺が決める。それが売れるとか売れないとか、そういうことじゃなくて、自分が恥ずかしいと思わないように、書き続けるだけ。毎回、たったひとりの場所からそれをやる。
大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん
太陽のように生きて、太陽のように死にたい
「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする
だって朝から晩までいろんな音楽聴いてるわけで。バップのジャズや20年代のブルースからソウル、レゲエ、フォーク、アイリッシュ。クラシックはめったに聴かないけど聴くときもある。そのすべてから影響受けるけど、僕はそういうのを聴く人で、その僕がやってるバンドがこれだっていうだけ。
人生をね、棒に振りたいんだよ
情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ
「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った
明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。
日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ
ブルースって、どうしてブルースっていうか、知ってる?それはブルースが悲しいから…(02年RSR)
自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない
書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。
いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ
大人になると人生がつまんなくなっちゃうって思ってる方が、若者の中にもすごく多いと思うんですけど、そんなことはないです。
なんか人見知りですって自分で言う人いるじゃないですか。それってめっちゃよくないなって思ってて、すごい自分から人を引き離してるの良くないなって思って。
オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。
完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから
欲張りな人間が、諦観を覚えたときは強いよ
風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい
ゆっくり急げ。美よりも速く走れ
歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。
創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる
いいよ。行っちまえよ。何処へでも。何処にでも届くように唄ってるからさ。
成功する企業というのは、「問題」ではなく、「チャンス」に目を向けている
Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the light.
暗闇の中を友達と歩くことは、明るい中を一人で歩くことより良いもの。
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある
彫刻に独創はいらない。生命がいる
何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ
真摯さはごまかせない
自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。