


日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。

俺かて そない馬鹿正直に生きてきたわけやない。せやけどな、俺のまわりには馬鹿に生きて……馬鹿に死んでった男たちがおった。そいつらのくだらん生き方が 俺は男の最高の生き様やと気がついたんや

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

楽しいと楽は違うよ。楽しいと楽は対極だよ。楽しいことがしたいんだったら楽はしちゃダメだと思うよ。楽しようと思ったら、楽しいことはあきらめなきゃダメだね。ただ、生活は楽な方が絶対いいと思うよ。でも人生は楽しい方がいいじゃん。生活は楽に、余計なことには気をとられず人生は楽しく。

友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる

芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか

We could never learn to be brave and patient, if there were only joy in the world.
もしもこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。

煮詰まったらドラクエやる

そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。

成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし、組織というものが最近の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない

働く人たちの姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映する。彼らの姿勢は、経営管理者の能力と構造を映す

ずーっと出発点に立ってんだよ、ロックンロールって。どっかの道のりにいるっていうんじゃなくて、今いるここがいつも出発点。いつもどっかに行こうとしてるんだよ。

感覚って信じてます? 僕は感覚なんて全く信じていない

勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである

有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い

10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。

21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく

自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない

だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!

人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします

成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない

僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。

悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある

あたしロマン派だから。猫の名前もゲーテとシューマンだし。

今真剣なんだ。邪魔するな!

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。

俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

好きなものは変わらなんなあ。歳をとるほど、より確信になる

壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です

人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

惚れたはれたの世界じゃなくて、もっと性別を超越したもの、生命を見つめるようなものーそういう温度にまで、お客さんの器を大きく広げてさしあげることができたらいいと思ったんですよね

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。

ちっちゃい子供は成人の10倍笑うんだって!! 負けてらんねーっつうんだよ!! あっはっは

周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?

何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。

自信のあるものは「自信があります」ということが大事

曲のメロディはもちろん大事ですが、大きな構造で考えるとスコアは設計図みたいなもの

今まであんなにときめいてきて、あんなに翻弄されて、電話のなかに彼がいると思って電話をずっと見てた、ああいう時間は何だったんだというぐらい、まったく次元の違う大事なものができてしまう瞬間があるんですよね

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である

ああ、俺にもできそうだ!

犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか

絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。

Work is life, you know, and without it, there’s nothing but fear and insecurity.
働くということは元気のもとだ。仕事がなければ恐れと不安があるだけだよ。

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である

ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる

闇鍋みたいなもんですよ、人生。何入ってるかわかんないけどどれかつまんで食べるしかないみたいな

自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。

恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し

仕事のやり方を変えるのではなく、仕事の意味を考えなさい

手には、物を掴む手と放す手がある

リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね

極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。

恥ずかしくない生き方はしたくないもんね。だから恥をかくんだよ

口先だけじゃ海を越えられないのさ

世の中は悪くなっている。おそろしく退化している。何も考えない人間が増えている。甘ったれたバカが増殖している

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

真摯さはごまかせない

数字なんて関係ねーんだ。ホント関係ねーんだ。お前らもよく虐げられてるだろ? 数字の強い人たちにさ

人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて

(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな

20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。

素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である

無能を並みの水準にするには一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする

書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが

(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。

過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ

音楽にはいろんな力がある

僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。

人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。

本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

夢や希望なんてバカバカしい。でもそれを見続けてしまうのが人間であって。それが悲しくもあり、美しくもあるんだってことを俺は知ってる。

意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!

コミュニケーションで最も大切なことは、相手の言わない本音の部分を聞くことである

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

別に社会に出ようが学生だろうが変わらねぇと思うけど、あの、…結局ね戦い、だと思うよ人生。 戦わなきゃぁそりゃ、寄ってたかって叩かれて、お終いさぁ。だから、不安なのはしょうがないけど、自分の足で立つしかねぇんじゃね

選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである

恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある

作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

音楽は言語のルーツなんじゃないかな

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか

何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである

Never bend your head. Always hold it high. Look the world straight in the eye.
決して顔を伏せないで。いつも堂々と顔を上げて。この世界を直視して

誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう
