音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた
(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた
私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている
明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う
お前らが死んでも音楽は何万年も続いていくんだよ
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。
おお嫉妬よ!お前は細事の拡大したものである
まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです
全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです
作曲家の基本命題は「いい曲をつくる」こと
自分自身によかれと思う者は、好ましく心やさしい妻をめとるがいい。さもなければ、いっそめとらぬがいい
芸術に従って芸術を作ってはならぬ
絵画というのは手で作った写真だ
僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる
深く、恐ろしく真実を語る者であれ
芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている
音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる
その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ
自分を支えているのは、自分
自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。
俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!
21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく
みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね
お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!
暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても
なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)
You either get tired fighting for peace, or you die.
平和のために戦うことに疲れるか、死ぬかだ。
「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる
ああ、俺にもできそうだ!
あたしロマン派だから。猫の名前もゲーテとシューマンだし。
Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな
久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?
早く大人になりたいとか、まだ子供だとか。違うんじゃないか?俺は俺なんだ。藤原基央なんだ。俺はもっと良い藤原基央になれるように頑張るんだ
痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る
「お客様は神様」ですから
私の健康を祝して乾杯してくれ
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
全てのものは限られた量しかない。特に幸福は
俺もな、お前と一緒で目の前に困ってるガキがいると放っておけない性質なんだ
僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい
偽物が本物に変身する瞬間がある
自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。
僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる
勉、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、目的を達成するまではどこまでも続けるという意味合いを含んだ文字である
非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している
あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない
経営者は常に現実的でなければならない
正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう
ライブってゆうのはお茶の間でせんべえかじりながら見るようなもんじゃねぇんだよ。チケット取れなかったとか色々あるかもしれないけど死ぬ気でチケット取れ。で、見にこい。俺らあれだから。ブラウン管の前で評価されたくねえから
それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!
周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?
曲作りの勉強は独学です
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
Billy Mack: This is shit, isn’t it?Joe: Yep, solid gold shit, maestro.
ビリー「こいつはクソだな」
ジョー「そうだな。だが金のクソだぞ」