(音楽にスーパースターは必要?という質問に対し)自分がなればいいんじゃないッスか、自分にとってね。そう思えないヤツはずっと誰かの真似になっちゃうんじゃないかな。
後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ
人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう
これまでの実績など捨てなさい。自分の強みを過信した者は生き残れません
Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。
ロックは世界を変えることができない!世界を変えるのはお前らだ
みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない
色々不安だろ?なあ、イライラするしなあ。それなあ、大人になっても不安だし、50過ぎてもイライラするから、そのまんまでいいんじゃないすか。物事解決するよりも、イライラしたまんまさあ、ロック聴きゃあいいじゃん。うん。
大小様々な仮想敵を作って「XXXXよりこっちが良い!」みたいに比較するのではなくて、「楽しい!」とか「ヤベー!」とか、言葉にできない魅力とか、そういうことをシェアしたいなって思う。
今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事
ドレミファソラシドの中で泳ぎたかった。空白の中にリズムを置いていきたかった。音符のない空白の中にこそリズムを感じたかった。
(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。
僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ
大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね
お前らの人生がライブハウスみたいだったらいいなぁ。おされたり、ぶつかり合ったり、倒れちゃったりして、でも自分の力で立ち上がったり、時には周りの人に助けられたりしながら起き上がって、次の瞬間にはものっすごい笑顔で前を向いてる。お前らの人生がそんなだったらいいなぁ
これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない
基本的に私は家の中で曲を作る
孤独の中では何もできることはない
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
生まれたら最後死ぬ訳じゃないですか。それはもう生き物として当たり前の事で。
人に善をなせば、とがめられるものだ
Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。
チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである
人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない
僕は一貫して自己満足です、めざすものは
自分が興奮できないようなものではダメ
(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので
人は見た目で判断する、そんなもんだ
「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ
組織に働く者は、成果に何も寄与しないが無視できない仕事に時間をとられる。膨大な時間が、ほとんど役に立たない仕事、あるいはまったく役に立たない仕事に費やされている
音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない
お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね
間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる
釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね
どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ
イライラや不満を、ただ我慢することなんだよ。いつか来るための大切なエネルギーだから
僕らの音楽は誰にも揺るがされなくなりました。他のどんな要素にもびくともしない、僕らと音楽の関係が完全に守られました。
私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ
自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ
失敗する子が減ったかも知れない。安全な道を選びがちだけど、危険な道ほど行ってみようって思う気持ちも大事。
アバウトは健康にいい
神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ
僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ
眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです
神童などという言葉は、家族のつくったものだ
事業を行うときは、次の4つの条件を満たしておかなければならない。まず経営環境、使命、強みが現実と一致していること。そして、それらの条件が互いに合致していること。そして、周知徹底されなければならない。さらに、たえず検証されなければならない
「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う
ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。
流行なんて、文字どおり流れていく
与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては
オルタナをやり始めた時は、「暗い」「分かりにくい」という声があって、若干構えてしまったんです。力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。すごく文字にしづらいかもしれないけど、スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか
恥ずかしくない生き方はしたくないもんね。だから恥をかくんだよ
運が悪かったんだよ、お前らは
最高で当たり前なんだよ
絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ
新しい事業をつくり出すときは、大きなビジョンである必要はない。しかし、今日の常識とは違うものでなければならない
お金なかったのでお母さんのお兄ちゃんにトラック運転してもらってトラックで上京した
もうすぐクリスマスだねぇ・・・なんか楽しいねぇ(笑)(2006/12 The Birthday広島にて)
コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから
お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。
音楽が自分のすべてです
指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです
(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね
会いたいって言った方が負けみたいなとこある気がする。男女
(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)
楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな
手には、物を掴む手と放す手がある
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる
この世は、良いのと悪いのとかさ、苦痛と幸福とかさ、相反するふたつのことで成り立ってると思うわけ。俺は、頭が悪いなりに考えた結果ね。で、頭がいい人とバカっていう争いもあると思うんだよ。今日は、三万人もバカばっか集まってくださってどうもありがとうございます
重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?
Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん。だれもが平和に生きていることを。