


僕って未熟だなって話です。どうすりゃいいのか未だにわからないし、わかって楽になったらいいなとは思う。ライブでも毎回緊張しますからね、どんな声が出るかわかんなくて。

俺も好きなバンドには一方的な想いをぶつける

他人というものがいなければ「一人が一番好き」っという気持ちもない訳で、そして一人の良さなんてわからない訳で。 その台詞はつまり、他人というものを一番意識していて、一番人とのつながりを求めている人なんじゃないのかなと。

この世の中すっげー頑張ってる奴らが上手くいかなかったり、だからとにかく俺達はまだまだこの世の中にぶっ壊したいものがたくさんあって、そういう奴らに中指立ててやっていくつもりなんで、またライブ見にきてやってください

もって行かれるぞ。甘い考えで生きてるとあっという間にもって行かれてしまう。この国をたて直すためには戦争をするしかないと考える人間がたくさん居るんだ。

自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。

「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい

成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである

歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

私、雑音がほしくて。綺麗なノイズのない環境が嫌

毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策

モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ

組織は常に進化していなくてはならない

悪い種子からは悪い実ができる

組織のマネジメントとは、凄い人材を入れることや改新的なサービスを導入する事のように思われているが、一番重要なのは、今ある人材と資産で何ができるかを考えることである

自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる

人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

顔に性格が表れるように、声には人生が現れる。言葉でどうこうするより、何万時間語り合うより、一曲でいいから自分の書いた歌を聴いてもらえば分かりあえる気がしちゃうんだよな

みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。

与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては

毎回が真剣勝負

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

チャンスは鳥のようなものだ。飛び去らないうちに捕らえよ

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

やっぱり私は表現をする事が好きやなー

「やさしくなりたい」という意思、それはすごく大切だなと思う

いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。

やっぱ俺は唄を選んだ人間なんだなって思ったんだよ。どんどん喋るのが下手になってって、どんどん唄うのが好きになってって、これは唄えって事だ。

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

いかなる成果もあげられない人の方がよく働いている。成果の上がらない人は、第一に、ひとつの仕事に必要な時間を過小評価する。第二に、彼らは急ごうとする。第三に、彼らは同時にいくつかのことをしようとする

後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ

大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない

一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ

経営者がかならず身につけておかなければいけない、大事な要素がひとつだけある。それは品性である

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ

早く大人になりたいとか、まだ子供だとか。違うんじゃないか?俺は俺なんだ。藤原基央なんだ。俺はもっと良い藤原基央になれるように頑張るんだ

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。

Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。

音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない

目標に達するまでの道筋を多くしないこと

作曲家の基本命題は「いい曲をつくる」こと

誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。

曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主

なんつーか…俺もなに言ってっかわかんなくなってきた! つかこんな事言うとホントてれくせぇけど、なんてゆーか…なんかお前ら可愛いんだよ(笑) いや…女子に言ってんじゃねぇよ!? ここでは女だとか男だとかそんなの関係ねぇ。ここにいる奴らはみんな同じだって…今回もブスばっかだなぁ

やっぱり音楽は大好きなことで、他に代わりがないから緊張するんですよ。今日のライブがダメでも、他でがんばればいいやとか、そういうもんじゃないから。

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである

勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

新潟…新しい『潟』…。『潟』ってどういう意味だーっ?! (新潟ライブにて)

今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで

愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう

美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ

あまいなぁ〜 桐生ちゃん …アマアマや!

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。

生まれたら最後死ぬ訳じゃないですか。それはもう生き物として当たり前の事で。

(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。

何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

みんなにとってこの曲がどんな意味を持つかは分からないけど、俺はこの曲が嫌いなうちはさ、なんでこんな曲作っちゃったんだろうって思ってるうちは、あぁ俺幸せなんだなって思えるから。

昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました

(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので
