


線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。

手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!

周りからどんなにバカに見られたって俺らが楽しけりゃ俺らの勝ちだよな

自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする

壁を見つけて超えていく……。人ってのは乗り越えることでしか成長できねぇんだ。 お前の理屈は間違っちゃいない。乗り越えるべき壁が俺だと言うのなら、付き合ってやる。二度と乗り越えようとすら思えない力の差――一度だけ味あわせてやる

歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない

自殺はやめろ。生きろ。

仕事のやり方を変えるのではなく、仕事の意味を考えなさい

人間の運命は人間の手中にある

コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから

この街は牢獄や……。俺が塀の外に出られんのは いつなんやろな兄弟……

涙が出てきたら、耐えて、苦しんで、そして前進あるのみだ

他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う

Character cannot be developed in ease and quiet. Only through experience of trial and suffering can the soul be strengthened, ambition inspired, and success achieved.
人格は、楽で平穏無事ということのうちには発展させることができない。試練と苦難の経験を通してのみ、魂は強化され、展望は明快にされ、野望は刺激され、そして成功は達成される。

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

常に100%満足できる作品を作るべきだと思うし、そうすることが俺らの音楽を待ってくれる人たちへの最高の礼儀だと思うんですよ。

曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。

Trying to please everybody is impossible – if you did that, you’d end up in the middle with nobody liking you. You’ve just got to make the decision about what you think is your best, and do it.
みんなを喜ばせようなんて不可能だよ。そうしたところで、結果は誰からも好かれないで終わるだけさ。

頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ

「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ

お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!

ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない

闇鍋みたいなもんですよ、人生。何入ってるかわかんないけどどれかつまんで食べるしかないみたいな

新しい事業をつくり出すときは、大きなビジョンである必要はない。しかし、今日の常識とは違うものでなければならない

私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ

明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ

なんか人見知りですって自分で言う人いるじゃないですか。それってめっちゃよくないなって思ってて、すごい自分から人を引き離してるの良くないなって思って。

本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ

他人のためにやるんじゃないよ。自分がやりたいからやるんだ。

人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ

綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ

未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである

急成長会社では無能な者が要職にいる。会社の成長についていけなかった人々である

リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね

手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ

学問的な言い方ではないが、仕事ができる組織は仕事を楽しんでいる

方向性に迷った時は僕は初めのイメージに立ち返る

真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ

なんか最近いろんなことが理屈っぽくなってるじゃない。でも人をふさぎ込ませるものなんてそんなになくていいんだよ。悲しいことは世の中にいっぱいあるんだから。

やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね

生きていくのに疲れていたり、死にたいなんて思ってたり、自分の体に傷をつけたり、人間関係で悩んでいたり、そんな人にはぜひ入院をすすめる

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。

マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね

自由であるとは、自由であるべく呪われていることである

(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

作曲家として一番大切な事は、とにかく曲を書き続ける事

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。

期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える

今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる

この世には、何一つ決まってることなんてないんだよ。 ただ、そう思いこんでるだけ。

突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。

他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

ここ何県?(ロサンゼルスにて)

Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see.
目を閉じてれば、生きるなんて楽なことさ。目を開けてるから誤解が生じる。

やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。

(「日出処」のタイトルについて)もっとビビッドで、私たちが知ってるお日様って何だろうって思った時に、こういうタイトルになりました

仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した

オルタナをやり始めた時は、「暗い」「分かりにくい」という声があって、若干構えてしまったんです。力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。すごく文字にしづらいかもしれないけど、スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ
