


あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない

人生は退屈すれば長く、充実すれば短い

俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな

虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!

「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う

一人ひとりと7万回握手がしたいです。

何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている

ただ大人たちにほめられるようなバカにはなりたくない

チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである

一人前になるっていうのは、すげえかっこいいこと

これまでの実績など捨てなさい。自分の強みを過信した者は生き残れません

国際級のすごいソリストを入れても、中に一人下手な人間がいるとアンサンブルとしての実力は、そのレベルに下がってしまう

最終日だからって、特別なことはありません。最終日が特別なんじゃないんだよ。ロックンロールが特別なんだよ

自由であるとは、自由であるべく呪われていることである

凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

Everything has its wonders, even darkness and silence, and I learn, whatever state I may be in, therein to be content.
すべてには驚くべきものがあります、暗闇や静寂にさえも。そして私はどんな状態にあっても満足して、学びます。

どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。

自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

人間の運命は人間の手中にある

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!

創造性の最大の敵は良きセンスだ

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない

太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる

「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)

型にはハマらずにいたい

上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな

何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう

ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

口先だけじゃ海を越えられないのさ

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

手には、物を掴む手と放す手がある

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる

限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。

何事かを成し遂げるのは、強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。できないことによって何かを行うことなど、到底できない

俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。

心が揺れたところで決着はもうついてんだ

自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。

誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか

生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって

いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ

信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ

みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか

近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない

大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう

反者から学ぶ事はたくさんあるけど本当に大事なのはそっから先に行く事だ

マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない

俺かて そない馬鹿正直に生きてきたわけやない。せやけどな、俺のまわりには馬鹿に生きて……馬鹿に死んでった男たちがおった。そいつらのくだらん生き方が 俺は男の最高の生き様やと気がついたんや

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う

ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ

絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

嫌な事は3秒で忘れる

確実にたくさんの曲を作り続けていくには、気分の波に流されてはいけない

より良くならなくていいんだよ。俺たち最高なんだから。
