


音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る

頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!

確かに2年前、俺はお前の相手が出来んかった。それはなぁ…… あん時のお前が弱過ぎたからや!

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと。

『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣

不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである

最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ

音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた

私たちは生涯、忠義を尽くし、御恩に報いる目的で一切の艱難を乗り越えなければならない

生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって

Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. The fearful are caught as often as the bold.
危険を回避することは、長期的には危険に完全に晒されるよりも安全ではない。怯える人は大胆な人と同じくらい頻繁に捕らえられる。

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ

ボクシングって勝った方が腕を上げるじゃないですか。でも天秤は負けた(軽い)方が上がるんですよ。・・・・・それっておもしれぇなぁと思って

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです

集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか

……別に、誰かのために尽くすってことは悪いことやないで?互いが互いのことを思いやり、惜しむことなく尽くしあえる関係が、一番ええ関係ってやつなんやないか?

(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな

仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ

普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!

あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ

「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。

上手にするってことなんか必要じゃなくて、熱くなればいいんだよね。

型にはハマらずにいたい

歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている

私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。

最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである

どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。

私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ

自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる

自分を肯定するために一所懸命考えるんだ

いや、40年と30秒だよ

盗作は情けない

アンタには諦めんことの重要さを教わったわ。俺も執着するで、真島吾朗っちゅう男の生き方に

毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です

創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる

言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば

たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

色彩は、それ自体が何かを表現している

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ

他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う

組織は常に進化していなくてはならない

もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ

生きているうちに天才って言われたい

人間、しがみついてでも、這いつくばってでも、生きることに価値があるんだ。分かるか?

何もすることがないから明るく引きこもってるんだ。でも結構楽しいです

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

落ち込むのと失望は違うんよ。 だって、落ち込んでても夢や愛は信じとるもん。

お前等聴いてるよな。さっきから聴いてるなって思ってたんだ。だからこっちも唄ってやるぞ!って思ったよ。聴いててくれて嬉しかったよ。ありがとね。

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感

自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。

やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね

楽曲を作ることの方が楽しい。それをいつ本業にできるかって最初から思ってた。

俺達の事な、忘れてもいいけど、此処でお前らがしてるその顔を忘れんな!お前等一人一人が主役なんだ!

私は自分がやりたいことをやっているだけ

何かを作りたいと思ってエキサイトしている状態っていうのは、めちゃめちゃ青春しているんやって思った。

子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。
