


広島も付き合い長いな。しかし、付き合い長いとなんか感情が湧いてくるよな。こういうの、何ていうんだ?……憎しみ? (広島ライブにて)

自分の個性に 自信を持てよ。そうすりゃあ自分好きになれる。姿形よりも 自分って人間を。磨いて輝る 美しさを

終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。

どうしたって笑えないけど、それでも笑わないといけない時かぁー。…泣いちゃえばいいんじゃないか

たかだか三分ほどの曲でもそうですし、五十分のアルバムでも、九十分のステージでも同じです。「たった今こういう気分の女の子のために」と用意します。そうそう思い浮かべるのは決まって女性です。男性に対してはおよそ腹立たしさしかない。それは女性を瞬間的にブスにするのが必ず男性だからでしょうね。

雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する

綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ

金 金 言うてもヤクザは最後は力や。力失うた人間は 力ある人間にその道 譲らなアカン。冴島 お前は東城会の力や。絶対に強いまま 神室町に戻って来るんやで。

座って弾き語りやってても激しいなあこの音楽って思う時もある。だけど逆にフルボリュームでアンプ鳴らしてガーって大暴れしてるのに何も感じない時がある。それはもしかしたら内面が伝わってるんじゃないかと思うんですよ。

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

Prime Minister: Whenever I get gloomy with the state of the world, I think about the arrivals gate at Heathrow Airport. General opinion’s starting to make out that we live in a world of hatred and greed, but I don’t see that. It seems to me that love is everywhere. Often, it’s not particularly dignified or newsworthy, but it’s always there – fathers and sons, mothers and daughters, husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends. When the planes hit the Twin Towers, as far as I know, none of the phone calls from the people on board were messages of hate or revenge – they were all messages of love. If you look for it, I’ve got a sneaky feeling you’ll find that love actually is all around.
デイヴィッド「私は世界のことを考えて落ち込むと、ヒースロー空港の到着ゲートのことを考える。有識者は、世界が憎しみや強欲で満ちているというけれど、私はそうは思わない。愛があちこちに存在していると思う。神々しいわけでも、ニュース性があるわけでもないが、愛はいつもそこにある。父と子、母と娘、夫と妻、彼氏と彼女、旧友。飛行機がツインタワーに突入したときでさえ、私の知る限りは誰も憎しみや復讐に満ちたメッセージを電話で送ったりはしなかった。それは愛のメッセージだった。見つけたかったら、探そうとしなくても、実は愛はいたるところで見つけられる」

心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。

Count your age by friends, not years. Count your life by smiles, not tears.
年ではなく友人で年齢を数え、涙ではなく笑顔で人生を数えようよ。

人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ

音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです

音楽っていうのは、96%まで技術です

Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。

俺がとりたいのは100点じゃないんだ。ロックンロールが100点満点だとしたら10000点くらい取りたいんだ。

神童などという言葉は、家族のつくったものだ

夢を語る奴のことをバカにしたことはない、そういう奴の為にグングニルって曲が出てきたりします。俺は決して笑わないって歌。そして俺もそういうことをしすぎて目が悪くなりました。夢の見過ぎで悪くなりました。そういう歌も歌ったことがある。でも結局のとこドリーマーです。永遠のドリーマーです。

経営者がかならず身につけておかなければいけない、大事な要素がひとつだけある。それは品性である

反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。

どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している

お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか

あたしロマン派だから。猫の名前もゲーテとシューマンだし。

真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている

人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

酒は何も発明しない。ただ秘密をしゃべるだけである

見放さなければ、失うということもありません

(20代の時にやっておいた方がいいことはありますか?という質問に対し)簡単だよ、やりたいこと。

青年は決して安全な株を買ってはならない

好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。

成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である

やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。

直観力と想像力を、抑え込んではならない

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

なんつーか…俺もなに言ってっかわかんなくなってきた! つかこんな事言うとホントてれくせぇけど、なんてゆーか…なんかお前ら可愛いんだよ(笑) いや…女子に言ってんじゃねぇよ!? ここでは女だとか男だとかそんなの関係ねぇ。ここにいる奴らはみんな同じだって…今回もブスばっかだなぁ

悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である

芸術は何かっていうと、抑制だよね

結局はひたすら考えるしかないという心境になっている

国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる

私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない

前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。

生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。

失敗することを恐れず、とりあえず何となくやりたい事をやってみたら?

忍耐もまた行動の一つの形態だ

やらないってのも一つの行動だと思う

老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える

徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。

たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている

中学時代はラジオが好きで、「オールナイトニッポン」をよく聞いていました

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない

昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。

自殺か三枚完結かでしょ?ロックストーリーって。

When you’re drowning, you don’t say ‘I would be incredibly pleased if someone would have the foresight to notice me drowning and come and help me,’ you just scream.
溺れている時は「誰か、溺れているのに気づいて助けてくれることを考えてくれたら嬉しいです」とは言わず、ただ叫ぶだけだよ。

「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

惚れたはれたの世界じゃなくて、もっと性別を超越したもの、生命を見つめるようなものーそういう温度にまで、お客さんの器を大きく広げてさしあげることができたらいいと思ったんですよね

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる

言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている
