いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ
私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……
運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか
私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!
終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。
手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ
俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!
Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。
人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い
自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした
俺は最近認めてるよ。自分のなかのリベンジを
僕らは全然清く正しくない だからってコソコソはしたくない コントロールできないことなんて山ほどあるよ 笑顔だけは失くさないでくれ たとえ誰かに罵られてもさ 僕はそういうとこが好きなんだ そいつらに中指立ててあんたらみたいにはならないよって言ってやろうぜ
さぁライヴハウスへ帰ろう
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
少なくとも僕にも誰かを楽しませることはできる
人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない
勉、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、目的を達成するまではどこまでも続けるという意味合いを含んだ文字である
何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ
太陽のように生きて、太陽のように死にたい
Prime Minister: Whenever I get gloomy with the state of the world, I think about the arrivals gate at Heathrow Airport. General opinion’s starting to make out that we live in a world of hatred and greed, but I don’t see that. It seems to me that love is everywhere. Often, it’s not particularly dignified or newsworthy, but it’s always there – fathers and sons, mothers and daughters, husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends. When the planes hit the Twin Towers, as far as I know, none of the phone calls from the people on board were messages of hate or revenge – they were all messages of love. If you look for it, I’ve got a sneaky feeling you’ll find that love actually is all around.
デイヴィッド「私は世界のことを考えて落ち込むと、ヒースロー空港の到着ゲートのことを考える。有識者は、世界が憎しみや強欲で満ちているというけれど、私はそうは思わない。愛があちこちに存在していると思う。神々しいわけでも、ニュース性があるわけでもないが、愛はいつもそこにある。父と子、母と娘、夫と妻、彼氏と彼女、旧友。飛行機がツインタワーに突入したときでさえ、私の知る限りは誰も憎しみや復讐に満ちたメッセージを電話で送ったりはしなかった。それは愛のメッセージだった。見つけたかったら、探そうとしなくても、実は愛はいたるところで見つけられる」
この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)
(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です
自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない
なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!
せやけど俺は……何があっても親父の子ですわ
芸術は、意識と無意識の融合である
汝が死ぬ前日に懺悔せよ
私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です
僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。
人生は、水平方向に落ちていくことである
このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
傲(おご)ってはいけません。企業は、社会によって存在させてもらっている存在なのです
偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか
リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ
お前がワンマンだー!(売れる前、新潟でのライブで客が一人しかいなかった時のこと。その客に向かって)
例え、一流よりもいい音が出せたとしてもまだニ流なのです。大事なのは、その音を出し続けることができるかということ
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ
あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ
僕は不確定というか、絶対にこうだって言い切れないものがあればあるほど面白いと思うよ。その分言い切りたい奴が言い切れるじゃん 僕はロックンロールに対していろんなことをいっぱい言い切る
テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ
その瞬間に爆発していればカッコいい
この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか。
最初っからうまくいくことなんてねぇよ。みんな。本気で手に入れたい世界が俺達にあって、それが今この世にないんなら一から作りゃいいじゃねぇか
恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない
7年後のことより、7秒後の話をしよう。
前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。
絵を描くのは人生に耐えるための手段だ
危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ
いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる
問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである
毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを
壁は自分自身だ
上手であることはそんなにいいことか?とも思う
「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)
(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです
「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ
なんばHatch?…へんななまえ。(06年THE BIRTHDAYライブにて。ちなみにこの日、まともなMCはこの一言のみ)
近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない
最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね
ボクシングって勝った方が腕を上げるじゃないですか。でも天秤は負けた(軽い)方が上がるんですよ。・・・・・それっておもしれぇなぁと思って
All the world is full of suffering. It is also full of overcoming.
世界は苦しみで満ちています。しかし同時に、克服の光も満ちています。