人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い
私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。
選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである
母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった
21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく
青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ
最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである
ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ
自分にいろんな矛盾があることが当然
自分自身によかれと思う者は、好ましく心やさしい妻をめとるがいい。さもなければ、いっそめとらぬがいい
後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる
たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ
大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた
子どもの時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした(最終学歴:東京大学教育学部教育心理学科)
世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい
(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた
たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、お前ら、覚悟決めろよ
コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから
どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない
(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)
一番悪い奴は「口だけいいことを言って実践しない奴」次に悪いのは「悪いことばかり考えてる奴」そうなりたくねぇんだ
愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ
目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・
さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき
歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの
やり方を学ぶ
私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ
芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ
「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい
曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です
生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる
飛べないホソミはただのタケシだぜ
裏切られたなら落胆を味わえばいい。信じた先の素晴らしさを俺は知ってるから。
なんか最近いろんなことが理屈っぽくなってるじゃない。でも人をふさぎ込ませるものなんてそんなになくていいんだよ。悲しいことは世の中にいっぱいあるんだから。
上手い歌なんか歌いたくないんだよな。いくらでもいるし。
集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない
音楽ってゆうのは、なんだろ。何回聴いても毎回ちがうふうに聴こえてくる
(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい
どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。
私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ
楽しいと思った瞬間、そこがゴール
新潟…新しい『潟』…。『潟』ってどういう意味だーっ?! (新潟ライブにて)
だって朝から晩までいろんな音楽聴いてるわけで。バップのジャズや20年代のブルースからソウル、レゲエ、フォーク、アイリッシュ。クラシックはめったに聴かないけど聴くときもある。そのすべてから影響受けるけど、僕はそういうのを聴く人で、その僕がやってるバンドがこれだっていうだけ。
ちっちゃい子供は成人の10倍笑うんだって!! 負けてらんねーっつうんだよ!! あっはっは
絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない
コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である
自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ
お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。
のめり込み過ぎちゃうと、いざ自分が何か失敗した時に逃げ道がなくなって、音楽で失敗することが怖くなっちゃう
いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ
誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる
……キスやな。キスかそれ以上のことやろな、やっぱり。歯…… 磨いとるな?六代目。
下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。
芸術は何かっていうと、抑制だよね
Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。