ルソーの「ラブレターを書く時は、何を書きたいか何も考えずに書き始めて、それが思い浮かぶ前に書き終えろ」っていう言葉があって。
お前らも絶対辛い時期があって、楽になりたいって思うときがあると思う。そういうのにあったときってさ、すーげぇいい人になっちゃうんだよ。もう傷つきたくないって思って、周りから愛されるようないい人に…でもそれって罠だから! いつまでも、何かに対抗する牙は捨てちゃなんねぇ
その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ
着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ
ジョークを言った本人が笑ったら、そのジョークはジョークでなくなる
あんたがたが俺の財産だ。俺達の誇りだ。それで生きていられるんだ。いっつも助けられっぱなしで申し訳ねぇと思う。精一杯作曲する。本当にありがとう
やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。
曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主
孤独であって、充実している、そういうのが人間だ
戦争やってる遠くの国のことよりも友達の方が大切だと思うけどなぁ
The most pathetic person in the world is someone who has sight, but has no vision.
世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人です。
40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。
So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。
すべてはむなしい
電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む
私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。
やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね
自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。
普段の生活が幸せならいいんだよ。だけど、本当につらいときに聴いてみな。ROCKはお前等を救うよ
私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった
覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ
群馬の一匹狼の皆さんこんにちは!これからも一人で頑張って生きて行って下さい! (群馬ライブにて)
で、みんなが「そうやるべき」だなんてことは全然ない。好きにすればいい。俺はどうするかは、俺が決める。それが売れるとか売れないとか、そういうことじゃなくて、自分が恥ずかしいと思わないように、書き続けるだけ。毎回、たったひとりの場所からそれをやる。
すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです
(ゲーム好きになったきっかけは〉東京大のマージャン部に所属し、後に厚生省などに務めた公務員の父と、東京女子医大出身の母の影響が大きい
別に社会に出ようが学生だろうが変わらねぇと思うけど、あの、…結局ね戦い、だと思うよ人生。 戦わなきゃぁそりゃ、寄ってたかって叩かれて、お終いさぁ。だから、不安なのはしょうがないけど、自分の足で立つしかねぇんじゃね
生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって
毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。なんでなんだ?っていつも子供みたいに感じていたいぜ
インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて
女性は行動するより前にこうしよう、と考えることがあまりない生き物なんじゃないかと思うんです。先に手が出るというか、体で感じて体で動くっていう
一人ひとりと7万回握手がしたいです。
(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)
昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました
子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ
後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
死に方は生き方、生き方は死に方。
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。
同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。
後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ
今真剣なんだ。邪魔するな!
結局芸術の唯一の原則は、見るものを模写することだ
心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。
私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。
「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)
あせってはなかったね。いつでも出来るし、やり始めたら一瞬だって思ったから
自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ
自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう
選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる
本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。
一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ
無能を並みの水準にするには一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする
芸術家になるのは難しいことではない。内容を別にすれば、世間的には自分が決めればいいだけのことだ。誰からも認めてもらえなくても、己さえ納得していればいいのだから話は早い
子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ
小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました
天才のランプは人生のランプより早く燃える
桐生ちゃん。わしなあ……ゾンビになってしもたかもしれん。
学問は、ある人にとっては神々しい女神であり、他の人にとってはバターをくれる有能な牝牛である
肉体的に落ちていくものは取り戻せない。残っているものを生かすしかない
太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く
人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。
何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。
僕らは全然清く正しくない だからってコソコソはしたくない コントロールできないことなんて山ほどあるよ 笑顔だけは失くさないでくれ たとえ誰かに罵られてもさ 僕はそういうとこが好きなんだ そいつらに中指立ててあんたらみたいにはならないよって言ってやろうぜ
リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ
傑作なのか屑なのかわからない
Self-pity is our worst enemy and if we yield to it, we can never do anything wise in this world.
自己憐憫は最悪の敵です。それに負けたら、この世で賢明なことは何一つできないのです。
我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?
誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう
情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ
素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない
結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。
Love is like a beautiful flower which I may not touch, but whose fragrance makes the garden a place of delight just the same.
愛は美しい花のようなもの。それに触れることはないかもしれないけれど、その香りは花と同じように庭を喜びの場所にしてくれます。
I believe in God, but not as one thing, not as an old man in the sky. I believe that what people call God is something in all of us. I believe that what Jesus and Mohammed and Buddha and all the rest said was right. It’s just that the translations have gone wrong.
僕は神を信じているけど、唯一のものではないし、空の上の年老いた老人としてでもない。僕は、人々が神と呼ぶものは、僕たち全員の中にあるものだと信じている。イエスやムハンマド、ブッダやその他の人々が言ったことが正しいと信じているよ。ただ、解釈が間違っているだけだと思う。