詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ
手には、物を掴む手と放す手がある
目の前の困難から逃げてばかりではダメです
色々と余計なこと考えすぎて眠れなくなった夜には必ずといっていいくらいに見まくった立川談志さんの落語のビデオ
God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。
真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている
型にはハマらずにいたい
(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。
歌だってそうなんだ。歌唱力がうまいへたではなくってね、ちゃんとあなたのところに飛んでいくようなメロディを歌いたい
ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。
毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です
自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやってます
人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う
何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである
興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい
明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う
自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる
運命に抵抗したってしょうがないんですよ。 どうしようもないんですよ。 そういう俺が「sailing day」で運命に抵抗って歌詞を書いてるんですよ。 だってその方が楽しいじゃないですか。
どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも
今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ
若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる
コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから
郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)
やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。
どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。
生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。
んだ。学びは終わらない。んだ。
5年も6年も前の曲。これから歌う曲。この曲書いたときあぁ夢見てるんだねっていわれた。夢追いかけてると必ず言われることがあんだ。お前らも言われてると思う。俺らもよく言われた。今でも言われんだ。[大人になれ]って。でも大人になったからって夢みないってのとは違うと思うんだ
久しぶりー、前橋!……ごめん間違えた宇都宮!(栃木ライブにて)
君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?
周りからどんなにバカに見られたって俺らが楽しけりゃ俺らの勝ちだよな
人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない
ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい
美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね
本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね
有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い
人の本当の仕事は30歳になってから始まる
群馬の一匹狼の皆さんこんにちは!これからも一人で頑張って生きて行って下さい! (群馬ライブにて)
「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。
私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる
やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。
本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。
人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
かっちょよく死ぬ瞬間を逃してしまったんだよ。俺たち人類はもうさ生きのびちゃったんだからさ。もうかっこよく終われないんだよ。人類は。だからかっこよく終われないんだから終わらせないようにしようぜって思うんだよ
熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます
俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。
人の本当の仕事は30歳になってから始まる
自分じゃない自分を出すのが怖い
目標に達するまでの道筋を多くしないこと
声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った
生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている
見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう
戦争は戦争を養う
成功への道は自らの手で未来をつくることによってのみ開ける
自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる
そやったわ。わし花粉症やったわ。
私は大金を持った、貧乏人のように暮らしたい
大人のくせに子供と同じような人間ばっかりになっちまったんじゃねえのか。
不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである
周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。
兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。
いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから
芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように
曲作りの勉強は独学です
私は仕事をしているとくつろげる。何もしていなかったり、訪問客の相手をしていたりすると疲れる
「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう
歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)
正義の尺度は声の多数ではない
たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい
みんなにとってこの曲がどんな意味を持つかは分からないけど、俺はこの曲が嫌いなうちはさ、なんでこんな曲作っちゃったんだろうって思ってるうちは、あぁ俺幸せなんだなって思えるから。
期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される
そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね
作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました
愛してるってどういうこと?愛してるって言葉の響きが重すぎるよ。愛せる程立派な人間じゃないですよ。
普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ
別に社会に出ようが学生だろうが変わらねぇと思うけど、あの、…結局ね戦い、だと思うよ人生。 戦わなきゃぁそりゃ、寄ってたかって叩かれて、お終いさぁ。だから、不安なのはしょうがないけど、自分の足で立つしかねぇんじゃね
この世の中すっげー頑張ってる奴らが上手くいかなかったり、だからとにかく俺達はまだまだこの世の中にぶっ壊したいものがたくさんあって、そういう奴らに中指立ててやっていくつもりなんで、またライブ見にきてやってください
ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに
ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ
ロックの基本は愛と平和だ。
愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある
学問的な言い方ではないが、仕事ができる組織は仕事を楽しんでいる
生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある
(20代の時にやっておいた方がいいことはありますか?という質問に対し)簡単だよ、やりたいこと。
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
Life is either a great adventure or nothing.
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。
Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。