かつて「ロックスターは27歳で死ななきゃいけない」という手紙が送られてきて。でも私ドラッグはやらないし、自分のアドレナリンだけで絶対生き抜いてやると思ってますから。それがいかに新しいか、それを立証しなければいけないという使命感がものすごくあるんです。
音楽、アート、読書、スポーツ、アニメ、ゲーム、etc.好きなものはいくつあったって怒られないのがいいところ。笑。
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である
私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
顔に性格が表れるように、声には人生が現れる。言葉でどうこうするより、何万時間語り合うより、一曲でいいから自分の書いた歌を聴いてもらえば分かりあえる気がしちゃうんだよな
この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ
何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ
人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない
生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ
あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である
いつもね 最新作が最高傑作なんだよ 僕の中ではいつもそうだよ
みんなにとってこの曲がどんな意味を持つかは分からないけど、俺はこの曲が嫌いなうちはさ、なんでこんな曲作っちゃったんだろうって思ってるうちは、あぁ俺幸せなんだなって思えるから。
文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである
閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ
選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである
空気の大事さなんて、なくなんないとわかんないですよ。溺れて初めて空気の美味さって感じるんですよ。なくなんないとわかんない大事さ。相手のことをそんなもの(空気みたいな存在)にしてしまったのかって思ってしまう。
人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである
俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。
ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ
普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります
若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる
誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう
天才のランプは人生のランプより早く燃える
明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう
10年かかってもまだわかんねぇのか?お前らが俺らを必要としてるんじゃない。俺らがお前らを必要としてるんだ
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。なんでなんだ?っていつも子供みたいに感じていたいぜ
大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。
書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。
ルソーの「ラブレターを書く時は、何を書きたいか何も考えずに書き始めて、それが思い浮かぶ前に書き終えろ」っていう言葉があって。
私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。
何があっても、賛成反対両方あるのは自然。
いかなる創造的活動も、はじめは破壊的活動だ
僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない
人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない
たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、お前ら、覚悟決めろよ
「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)
運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ
人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい
やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね
オーケストラ音楽に触れたきっかけはラジオ
侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ
失敗することを恐れず、とりあえず何となくやりたい事をやってみたら?
俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!
なんでもいいから、まずやってみる
人は見た目で判断する、そんなもんだ
傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ
着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ
馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ
返信への返信(「Re:Re:」)という意味ですが、アルバムの場合、曲の並びが“ラストシーン”から“サイレン”で悲しすぎたので、『もう一度』という意味をこめてタイトルをつけました。(『Re:Re』について)
美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね
腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない
人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない
若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ
単純なことを完璧にやり続ける忍耐力の持ち主だけが、偉大なことを成し遂げる
あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない
学問的な言い方ではないが、仕事ができる組織は仕事を楽しんでいる
恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある
感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。
I do not want the peace which passeth understanding, I want the understanding which bringeth peace.
私は理解を超えた平穏を求めているのではありません。むしろ、平穏をもたらす理解を求めています。
勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ
世の中に言いきれることってねえが。 でも恋愛は絶対素晴らしいと言いきるよ
jupiterは「木星」の他にも「雨の神様」って意味があって、俺はその言葉がいいなって思って。「太陽の神様」じゃなくて「雨の神様」だって。じゃぁ、俺は皆を濡らしてやろうと。俺らは泣いてもいいんだよって言いたいバンドな訳だから。
僕は一貫して自己満足です、めざすものは
偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか
正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
経営者は常に現実的でなければならない
そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ
優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のこと
There is no king who has not had a slave among his ancestors, and no slave who has not had a king among his.
王の先祖に奴隷がいない者はなく、奴隷の先祖に王がいない者はいません。
確実にたくさんの曲を作り続けていくには、気分の波に流されてはいけない
お前は自分しか信じちゃいない。自分以外の人間を心から信じれない。だから人から愛されないんだ。
一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから
まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!
俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな
人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う
……別に、誰かのために尽くすってことは悪いことやないで?互いが互いのことを思いやり、惜しむことなく尽くしあえる関係が、一番ええ関係ってやつなんやないか?
感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ
Life is either a great adventure or nothing.
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。